´20年8月9日~10日 榛名山ヒルクライム…撤退!🚴
(利根川サイクリングロードにて)
🚴この夏休み、買ったばかりのロードバイクで長距離を走ってみようと思い立ち、群馬県の榛名山まで行ってきました。この山のブログでロードバイクのことをどれほど興味をもって読んでいただけるかは甚だ疑問ですが、ちょっとだけ報告いたします。
榛名山は過去ブログにもあるとおり、昨年の12月に縦走部で榛名富士と掃部ケ岳の二山を登りました。そこを自転車で?と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。実は、榛名山は麓の街から榛名湖まで通じる自動車道が自転車のヒルクライムレースのコースにもなっているのです。
【榛名山ヒルクライムin高崎(通称ハルヒル)】は全国的にもそこそこ有名な自転車レースでして、全国の坂バカ(自転車で坂を上ることが好きで好きでたまらないバカモンのことを表す業界用語)が年に一度榛名山に集うのです(今年はコロナで開催中止)。今回はそのコースを試走してみようという企てです。
(公式HPより)
拠点となる高崎まで我が家から100kmほどで、高崎市街から榛名山までは約20km。ロードバイク初心者の私にはちょうどいい感じの距離ではないかと思い、一泊自転車旅行を敢行したのでした。
■1日目
🚴7:06 出発
(自宅前にて)
さいたま市から高崎方面に向かうには利根川サイクリングロードを利用するのがいいらしいということをネットで知り、まずは利根川を目指すことにしました。利根川までの最短コースと目星をつけた埼玉県の羽生市まで一般道を40kmひた走ります。
(当日の軌跡)
🚴9:26 利根川サイクリングロード
(やっと利根川に出た)
少し道に迷いながらもようやく利根川にたどり着きました。ここは利根大堰というところです。名前の通り大きな堰が利根川にかかっていました。
(利根大堰)
ここからは初めての利根川サイクリングロードを走ります。走り始めてすぐに私はあることに気が付きました。それは、すれ違うローディたちが私に挨拶をしてくれる率がとても高いということです。
多くのローディがすれ違うときに軽く頭を下げてくれます。偏見かもしれませんが、私のホームコースである荒川サイクリングロードに比べると、段違いの挨拶率だと感じました。中でも一人の若者が私にくれたこぼれるような笑顔の挨拶を私は今もよく覚えています。私は(山もサイクリングロードも同じだな。挨拶ってやっぱり大事だ)と思い反省しました。
なぜ反省したのか。私はそれまで挨拶をしてなかったからです。山の流儀はわかっていましたが、サイクリングロードの流儀は荒川では誰も教えてくれませんでした。それを利根川で教えてもらいました。挨拶は気持ちがいいものだよと、コロナで山と離れていた私に思い出させてくれたのです。
🚴11:10 本庄市のコンビニにて
(コンビニの前で)
初めての川沿いのサイクリングロードではよく道に迷います。それが川の流れと逆方向に進む場合はなおさらでしょう。なぜならサイクリングロードがあるような大きな川には途中で何本もの支流が合流しています。なので気が付いたら支流に沿って見当違いの方向に走っていた、ということがよくあるのです。このときもいつの間にか利根川を離れ、あれ?と思ってると一般道になり、ちょうどお腹もすいてきたのでまあいいかと幹線道路沿いのコンビニに入りました。マスクもせずに…
コンビニの前でカップサラダを食べていたら、地元民らしきおじいさんが近づいてきました。最初はロードバイクをじろじろ眺め、「最近こういう自転車がはやっとるのう、かっこええなあ」と話しかけてきます。「どこから来た?」と聞かれたので「さいたま市の浦和のほうからです」と答えると、それには興味なさそうに「マスクは?」と聞き返してきます。「あっ、マスクするの忘れてました!」と私が少し慌てていると「いや、いい。本庄は昨日もコロナはゼロだ。都会とは違う」と言いながら、自分の自転車にまたがり去っていきました。
🚴12:43 高崎市のスーパーにて
(イートインコーナー)
一旦サイクリングロードを離れてからは国道17号を高崎に向かってひた走りました。コンビニから1時間ほど走り、高崎市の中心街まであと少しとなったところで休憩(スーパーのイートインコーナー)。ここまで自宅から95km走ってきましたが、自分でも意外なくらい元気です。予約してあるホテルまではあと10kmくらいですが、このままチェックインするにはちょっと早過ぎるので、明日に予定していた榛名山をこれから目指すことにしました。
(行っちゃえ!)
🚴14:52 榛名山試走、そして撤退
(ギブアップ💦)
開催コースを試走するべく、麓の街までやって来ましたが、さっきの休憩から20kmほど走ったことでガクンとバテてきた気がします。(明日にしときゃよかったかな…)と少し後悔しつつも、榛名湖までの坂道に取りかかりました。
コースは全長16.1kmで、高低差は907mです。猛者はこれを40分前後で駆け上がるらしいのですが、一般人は1時間半くらいかかるみたい。制限時間は3時間です(途中で関門時間あり)。来年の大会参加を視野にいれて、果たして私はどれくらいで上れるのでしょうか。
(コース図)
結論から申しますと、ゴールの榛名湖まで到達できずに撤退いたしました。途中にある初心者コースのゴール(6.7km、標高差299m)までは足を着かずに行けたのですが、腰が痛くて痛くて我慢できなくなりました。ここまでの所要時間は45分くらいだったと思います。全然ダメですね。
(初心者コースのゴール)
朝自宅を出てから約8時間、距離にして125kmを走ってからのヒルクライムはちょっと無理があったようです、私には。しかし、実は足は残っていました。初めてのヒルクライムでしたが、漕ぎながら休むとでも言うのか、下半身の筋力はまだ余力があったようにも思います(スピードは別にして)。問題は腰の痛みです。今回は腰痛でギブアップでした。
帰りは標高差300mを一気に下るのですが、漕がずに自転車にしがみついているだけで軽く50kmを超えるスピードが出て、マジ恐かったっす。
🚴16:35 ホテルにて
ホテルの方のご好意で自転車を部屋まで持ち込めることができました。さすが《ハルヒル》の街です。それにしても今日はよく走った。ここまでの総距離はちょうど140km。自転車での人生最長距離です。道中、日焼けに対して全くのノーケアだった腕と足は火傷に近い焼け方をしていました。
(イテテッ)
一息ついたあと、近くのコンビニへ晩ごはんとビールとデザートを買い出しに行き、ゆっくりお風呂に浸かり、高崎の夜は更けていきました🍺🍺💤💤
■2日目
昨晩寝るとき(明日また榛名山に行ってみようかな)なんて思っていましたが、とんでもないことでした。また今度万全の準備をしてからチャレンジしようと考えを改め、8時頃にホテルを出発。近くの利根川サイクリングロードを使って100km先の自宅を目指しました。
(帰りも暑かった)
帰りは103km。かなりバテバテになりながらも15時過ぎに自宅に帰りつきました。ノンアルビールをイッキ飲みし、シャワーを浴びてバタンキュー(古い)でした。
(帰りの軌跡)
自転車でのロングツーリング、なかなか面白いっす。ということで、現在次の行き先をいろいろ検討中です。
(終わり)
ここまでお読み頂きまして、大変有難うございました。本ブログに関して、ご意見・ご感想などございましたら、下記アドレスまでメールをお願いいたします。お気軽にどうぞ。
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´20年8月15日 真夏の谷川岳で登山再開!(後編)
(前編からの続きです)
■山頂へ
トマの耳もオキの耳も最初は登山道からよく見えていましたが、少しずつ雲が出てきたようで、いつの間にか山頂部は雲の中に隠れてしまいました。
10:43
(笹が覆い尽くす山肌)
調べてみると、谷川岳は典型的な非対称山陵としても有名な山のようでした。西側はこのようにたおやかな笹原の斜面が広がり、東側は雪が削り出した断崖絶壁になっています(一ノ倉沢など)。
行く手に山小屋が見えてきました。あれが《肩の小屋》でしょう。標高1,900mに建つ、谷川連峰縦走の拠点となる山小屋です。ここまで天神平からの標高差約600m。今日初めての大休憩をとり、スポーツドリンクをグビグビ飲みました。
(11:18 肩の小屋)
さあ、ここまで来れば山頂まではあともう一息です。と言ってる間に着きました。谷川岳の二つの山頂のうちの一つ、トマの耳(1,963m)です。天神平から2時間足らずの道のりでした。
(11:26 トマの耳)
残念ながら、周りはガスに覆われてなにも見えません。本来なら360度の大パノラマが広がっているらしいので、残念でした。
ちなみに、このトマの耳は「手前の耳」、オキの耳は「奥の耳」がなまったものだと聞きました。さらに面白い話がありまして、この山の元々の名前は《二つ耳》というものだったのですが、国土地理院が地図を作るときに隣の山と間違えて谷川岳と表記したことで、谷川岳の名を冠することになったんだそうです。隣の山はいい迷惑ですね。
トマの耳では写真だけ撮って、すぐにオキの耳を目指しました。ガスって山頂は見えません。ガスが出ていなければ、右と左で非対称山陵の様子がよくわかったはずなのですが。
(オキの耳から戻ってくる登山者たち)
ほどなくしてオキの耳(1,977m)山頂に至りました。
(11:44 オキの耳)
おにぎりを二個頬張り、一息ついたらすぐに腰を上げます。こういうとき、一人の登山はちょっと寂しいですね。やっぱり誰かと登頂の喜びを分かち合いたいと思ってしまいました。
(オキの耳、山頂の様子)
■下山
12時を回りました。さあ、帰りましょう。ここまで2時間半。下りは2時間で、天神平のロープウェイ乗り場に14時ってところかな?今日のロープウェイは15時が最終ということですが、大丈夫そうですね。
下りではストックを使いました。実はさっきから膝が痛くて痛くて…。コースタイム5時間だし、最近自転車で下半身鍛えてるし、今日は「楽勝!」となめてたら、平地と変わらない暑さと日射しで熱中症一歩手前になるわ、膝はガクガクするわ、時々意識失いそうになるわで、5ヶ月ぶりの登山は予想外に体にダメージがきてます。ストックに体重の半分以上をかけて、膝の痛みをごまかしながら下りました。
(天神平が小さく見える)
やっとのことで天神平のロープウェイ乗り場まで戻ってきました。時間は14時ちょうど。見込み通り、オキの耳から2時間の道のりでした。
(14:01 天神平着)
ロープウェイ乗り場の横にあった水場(靴の洗い場?)で頭から水を浴びて、クールダウン。生き返りました。下の写真がその水場ですが、私を真似して水を浴び始めたこのオヤジの向こうに小さく見えている建物は、ここ天神平スキー場のレストハウスです。
恐ろしいことに、この時すでにロープウェイを待つ列がここから建物の中の階段を通って、なんとこの遥か下のレストハウスまで伸びていたのでした。
■走れ!メロメロ💦
「えっ?ええっ?えええーっ?」
薄暗い階段をドンドン下りますが、ロープウェイを待つ列の最後尾がなかなか現れてきません。列は一旦外に出て、下の方に見えていたレストハウスの中にまで続いていました。さらにレストハウスの中で列は一周してるし。なんてこった😱💧
(14:18 レストハウスで並ぶ)
こんな時も一人だと寂しいもんですね。トイレにも行けやしない。とにかく、乗らなくちゃいけない電車は土合駅発15時34分。これに乗り遅れたら次はなんと2時間と42分後です。シャレになりません。ざっくり15時までにロープウェイに乗ることができればぎりぎり間に合いそうな気がしますが、この列です。現在時刻は14時18分…
(縦走部のメンバーに入れたLINE)
なんでこんなことになったのか。やはり、ロープウェイの営業時間が短縮されて15時が最終になった影響が大きいと思われます。天神平は登山目的ではない観光客も沢山やって来てましたが、その人たちが早めに帰り支度をして集まってきたのでしょう。しかも、例のコロナ対策で乗車人数が普段の半分以下(22人→10人)に抑えられているため、ロープウェイは3分間隔でやって来るのですが、この大勢の人数を処理しきれないのです。
(ああ、もうダメ)と半ば諦めかけましたが、LINEでバス便もあることを教えてもらい、少し安心。結局、私がロープウェイに乗り込んだのは15時を5分ほど過ぎたあたりだったでしょうか。ロープウェイを降りてから土合までダッシュすれば、もしかしたら間に合うかもしれません。
「うりゃ~~!」🏃🏃🏃💨💨💨
はち切れそうになっていたトイレを済ませ、足と膝の痛みも忘れて土合駅まで走りました。ロープウェイの駅方向から下ってくる車に何台も追い抜かれ、「駅までですか?お乗りなさい!」と声をかけてくれる奇跡も起きず、何度か挫けそうになりながらも土合駅にたどり着き、34分の電車に飛び乗りました。
(めでたし、めでたし)
■終わりに
コロナ禍のなか、こうして久しぶりの登山をなんとか無事に終えることができました。次の日から大腿四頭筋の筋肉痛と右膝の痛みが何日か続きました。加えて、下りでストックを突き過ぎたのか、両腕も痛くなって、59歳という年齢を思い知らされることになりました。
自転車と山登りは使う筋肉が違うんだなあということ。2,000mに満たない山の真夏の登山は熱中症に気を付けようということ。そして、単独行は少し寂しいなということなどなどが新たな気づきでしょうか。
さあ、いよいよ次は縦走部のメンバー全員での活動を再開します。東北自動車道を北上して那須岳を目指す予定ですので、どうぞご期待ください!!
(終わり)
✳️おまけ
今回の登山の起点となった土合駅について、補足情報を二つほど書かせていただきます。
一つ目はこれ。
地上へと続く462段の階段脇にあった岩だらけのスペースです。
染み出てくる地下水を逃がす水路かなと思っていましたが、大外れでした。なんとこのスペースはエスカレーターを設置するためのものだそうです。もちろん、今はそのような計画は跡形もなく消え去っていますが。
二つ目は写真はありません。
あまりに長いこの階段の途中には休憩のためのベンチがあると聞いていたので、どんなもんかと思っていました。しかし、直前にアイミ君から「ベンチに座ってると下から白い手が出てくるらしいよ」という全く不要な情報が寄せられたため、ベンチを視野に入れることすら恐くて通り過ぎました。
以上の二つです😁
(おしまい)
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´20年8月15日 真夏の谷川岳で登山再開!(前編)
(トマの耳山頂にて)
⛰️お盆の週の夏休みに、一人で谷川岳を登ってきました。猛暑のなか、久しぶりの登山はまあまあ大変でしたが、やっぱり山はいいですねえ。
谷川岳(たにがわだけ)は群馬・新潟の県境にある三国山脈の山である。日本百名山のひとつ。周囲の万太郎山・仙ノ倉山・茂倉岳などを総じて谷川連峰という。
(wikipediaより)
コロナ禍により縦走部の活動は3月の蓼科山以降ずっと自粛。私自身これが5ヶ月ぶりの山登りとなります。この間、外出自粛や在宅勤務が続いたせいで少し体調を崩していたのですが、夏休みの解放感が私の背中を押してくれたみたいで、ようやく(山に行こう!)という気持ちが沸き上がってきました。
久しぶりの登山に谷川岳を選んだ理由は、今年1月にアイミ君と雪山講習会で冬の谷川岳(登ってませんけど)を経験して、なんとなく土地勘みたいなものができていたこと。浦和の自宅からでも在来線を使って日帰りができそうだったこと。そして、なんといっても『魔の山』『死の山』なんていう恐ろしい異名を持った谷川岳という山の魅力に惹かれたからです。
世界にはエヴェレストを筆頭に8,000mを超す高峰が14座あります。8,000mを超えた場所は人間が生息できるところではないという話はよく耳にしますが、この14座での遭難死者数の合計はこれまでに600数十名を数えるとのことです。に対して、谷川岳での遭難死者数は昭和以降だけでも優に800名を超えています。これ、すごくないですか?
もっとも、遭難者の多くは一ノ倉沢などの岩壁ルートからの登頂によるものです。そう、谷川岳は日本でも有数の岩登りのメッカなのです。なので、今回私が登った天神尾根のような一般的なルートはほとんど危険な箇所はありません。
登山家・森田勝をモデルにしたといわれる夢枕獏の山岳小説《神々の山嶺》を私は谷口ジローの漫画版で読みましたが、そこに冬の一ノ倉沢の岩登りがいかに過酷で危険かが詳しく書かれています。
(映画化も)
■土合駅すごい!
今日の私のスケジュールは以下の通り。
- 5:28 北浦和→8:37 土合
- 9:20 谷川岳ロープウェイ
- 9:30 登山スタート:天神平登山口→谷川岳(トマの耳・オキの耳)→14:30 天神平登山口《コースタイム5H》
- 14:40 谷川岳ロープウェイ
- 15:34 土合→18:27 大宮(知人と合流。かんぱーい!)
北浦和から在来線(36駅)を乗り継いでたっぷり3時間。ついに土合駅に到着しました。
(8:37 土合着)
この土合駅の下り線のホームは地下81mのトンネルの中にあり、日本一のモグラ駅として有名です。実は今回の山行目的の半分は、この土合駅の地中深い下りホームに降り立つことでした。起点となる駅に着いただけでこんなにワクワクするなんて、やっぱり谷川岳はただ者ではありません。
(下りホーム)
薄暗いホームに降り立った瞬間、「さむっ!」と思わず声に出るほど気温が下がっていました。さすがに日本一のモグラ駅だけのことはあります。少し歩くと地上に通じる階段が見えてきました。
(462段)
《谷川岳登山は土合駅の地下ホームから始まる》と聞いたことがありますが、階段の一番下から見上げると、その言葉も頷けます。すごい迫力です。すぐに縦走部のメンバーにも『土合駅、一見の価値あり!』と写真を添えてLINEを送りました。
(土合駅の外観)
駅から20分ほど歩いて谷川岳ロープウェイ乗り場に到着。ロープウェイは定員22名のところ、コロナ対策で上限10名に絞られていました。(これが後々私にえらい災難となって降りかかって参ります)
さらに、こんな張り紙が。
(最終15時?)
ここ数日、関東では午後に激しい雷雨がゲリラ的に発生していましたが、どうやら今日もその恐れがあるらしいとのこと。そのため、通常17時までの営業を今日は15時で終了するとのお触れです。私の計画は14時半の下山&ロープウェイ乗車でしたので、まあ大丈夫そうです(これも後々災難の遠因となってしまいますが)。
【耳より情報】
ロープウェイ往復料金2,100円のところ、モンベルカードを見せると100円割引です。
■登山開始
ロープウェイの終点《天神平》からは天神尾根をたどって往復コースタイム5時間の道のりとなります。群馬県のゆるキャラのぐんまちゃんに見送られて、予定通り9時半に出発しました。
(天神平から谷川岳の双耳峰を臨む)
今年1月にアイミ君と一緒に雪上訓練の講習を受けた場所がこの天神平です。その時は2m以上の積雪に被われていて、夏の景色とは全く異なるのですが、たぶんこの辺りの森のなかで雪洞を掘って一泊したんだと思います。
(この辺りかな)
(雪洞にて。寒かった!)
ちょうど5ヶ月ぶりの山登りとなりますが、体力的にはこの1ヶ月ほど自転車を乗り込んできていたので、不安はありませんでした。
(登山道)
登り始めてしばらくすると、登山道を覆っていた樹々の背丈はみるみる低くなり、ギラギラ照りつける真夏の太陽をさえぎるものがなくなってきました。いきなり暑い、熱い💦今日も平地は35℃以上の猛暑日予報ですが、この登山道も標高はそれほど高くないので相当猛暑です。
(10:24 暑かった…)
今日は日焼けを避けるために長袖の速乾Tシャツを着てきたのですが、バケツで水をかぶったように袖の先までぐっしょりと濡れ、風がないので乾く間もありません。 標高はまだ1,600mくらいのはずですが、なぜ森林限界を超えたような低木ばかりになったのでしょうか。その理由は下山後に観たNHK日本百名山で説明されていました。
谷川岳一帯は日本海側からの冬の季節風の影響を強く受ける、天候の変化がめまぐるしい山域です。日本でも有数の豪雪地帯であり、高木が育ちにくい環境にあります。そのために高山帯に達していないにもかかわらず、高山帯的な景観が形作られるというわけです。これを《偽高山帯》というのだそうです。
登山道は途中から岩場が多くなってきました。それほど危険な個所はなかったと思うのですが、あまりの暑さに何度か立ち眩みのようにフラッとする瞬間があってヒヤリとします。これは危ない。もしもそのまま貧血気味に意識を失えば、それがたとえ一瞬のことであったとしても、転倒・滑落の大怪我につながりかねません。これは縦走部のみんなにも伝えようと思いました。
(すいません、ここで前編終わりです。大して盛り上りもないまま後編に続きます)
⇒後編へ
´20年3月14日~15日 蓼科山でリベンジ登頂!
(無事登頂!)
⛰️北八ヶ岳の北端に独立峰のようにして立つ火山の蓼科山(2,531m、日本百名山)。去年に続いて今年も縦走部で行ってきました。私は何が楽しみって、下山後のペンションでの宴会が楽しみでしょうがないったらありゃしない。
■アイミ君リベンジ!
一年前にも登った蓼科山へ、今年も向かったのには理由がありました。前回はアイミ君がお腹を壊してまさかの途中リタイア。一人だけ山頂に立てませんでしたので、今回はそのリベンジというわけです。
(前回の登頂の様子)
いつものように新宿駅南口のモンベル前に集合して、私の車で6時半頃出発しました。暖冬なので雪がどの程度積もっているのか心配ではありましたが、逆に登山口までの道路は大丈夫だろうと安心していました。ただ、今日は降雪予報なんですよねー。ちょっと気になります。
■生まれて初めてのチェーン
高速を下りる前から雪が降り始め、茅野市街を抜けて山の方へ標高が上がるにつれて雪は本降りになってきました。目指す女乃神茶屋登山口は標高1,720mの場所。道にはうっすら雪も目立ち始め、いつしかFFでノーマルタイヤの私のフリードでは完全に走行不可能な雪道になってしまったのです。
スリップし始めた車をなんとかチェーン脱着場まで寄せて、アイミ君と片方ずつのタイヤにチェーンを取り付けました。ほぼ、ぶっつけ本番です。うまくいくでしょうか。
(ヒーコラ💦)
何を隠そう、私にとっては生まれて初めての雪道運転でしたが、なんとか無事に女乃神茶屋登山口の駐車場に到着。30台くらいは停められるはずの場所に、先行車はわずかに3台のみで、そのあとも後続の車が現れることはありませんでした。
10:04(降りしきる雪の中で準備を進める)
12本爪アイゼンも装着して登山口に向かっている途中で、私はみんなを振り返り心の中の不安を口に出しました。
「三組しか先行パーティーがいないような悪コンディションで、俺たちが山に入って大丈夫なんだろうか?」
しかし、その答えをみんなから聞く前に、振り返った拍子にアイゼン同士を引っ掛けて派手にスッ転んでしまった私。
「アハハ、どうやらダメって言われてるみたいね」と誰かの笑い声が聞こえました。
■山頂へ
山頂までは800mの標高差。私の計画では約3時間の道のりを登り始めました。最初は足元に笹が生い茂るなだらかな勾配でしたが、4~50分もするとシラビソの森になり勾配もきつくなってきました。
(笹が生い茂る登山道)
厄介だったのは、雪の積もり方が浅いので、アイゼンが深く雪に食い込まずに岩でズリズリ滑ることです。滑ってこけそうだし、足を捻りそうだし、岩とアイゼンが擦れて不快な金属音はするしで、なかなか大変。
標高が上がると少し雪も深くなってきて、ようやく歩くのが楽になってきました。
(黙々と登る)
ずっと雪が降り続いていたので、みんな着ているジャケットのフードを目深にかぶっていたのですが、次第に頭から顔・首回りが蒸れてきて割りと大変でした。
■私のハードシェル
そうだ、いい機会なので、私が雪山で愛用しているアルパインジャケット(いわゆるハードシェル)をご紹介させていただきましょう。
バーグハウスの《EXTREM 5000 PZ SHELL JKT(エクストレム シェルジャケット)》という商品です。ゴアテックスの3レイヤーで、C-ニットと言われるサラサラした肌触りの裏地です。生地感はレインウェアなんかに比べると多少ゴワゴワしていますが、用途的にしょうがないところでしょうか。
昨シーズンの雪山デビューの際に、浦和の好日山荘の店長に勧められて購入しました。定価38,000円(税抜)が確か30%オフだったと思います。けれど、雪山初心者には少し大袈裟な装備かなということで、結局昨シーズンは着用しなかったんですけどね。
初着用は今シーズンの谷川岳での雪山講習のとき。それ以来、黒斑山や八ヶ岳(天狗岳)、今回の蓼科山などでも使って、もう雪山では手放せなくなりました。
(今回の蓼科山でも大活躍)
ハードシェルですので中綿が入っているわけではありません。ですので保温性はないのですが、防風・防水は完璧です。もうひとつ上のランクにゴアテックス・プロという素材を使ったプロ仕様のハードシェルが各社から出ていますが(バーグハウスにもあります)、まあ一般的な雪山ではたとえ厳冬期であってもこの通常のゴアテックスで十二分でしょう。
谷川岳での滑落停止訓練や、天狗岳での強風と冷たい雨、今回の蓼科山でのしつこく降り続ける湿り気を帯びた雪、などのような過酷な条件の時にハードシェルを身にまとっていると、《安心感》というか《守られ感》が全然違います。森林限界を超える雪山に行くときは、準備したい装備の一つだと実感した今シーズンでした。
(ハードシェルに守られて山頂へ)
■再び、山頂へ
登山口から山頂付近までは分岐もなく、迷いようもない一本道になっているのですが、急な勾配の区間が割りと多かったと思います。
(急登)
ちか&まりは途中でジャケットの下を脱いで体温調節していました。私は首元のジップの上げ下げと、脇の下のピットジップを開けることで内部の蒸れを逃がします。そうこうするうちにお腹が減ってきました。
12:34(雪を避け、樹の下で立ったまま昼食)
昼食休憩から40分ほどでやっと樹林帯を抜けました。溶岩でおおわれた山頂部は吹きっさらしのために積雪が薄くなり、雪の下の岩をガリガリとアイゼンで踏みながら、滑らないように進みます。
13:31
雪に埋もれた《蓼科山頂ヒュッテ》が見えてきました。去年は屋根の上がわずかに見えていただけでしたから、やっぱり今年は雪が少ないようです。
(もうすぐ山頂だ)
降り続く雪で踏み跡もよくわからなくなっていましたが、ハッキリと山頂の標識か見えていたので道に迷うことはありません。
(あと少し)
そして、13時54分。登山口からたっぷり3時間半以上かかって、私たちは蓼科山山頂(2,531m)にたどり着きました。今年は一人のリタイアも出ずに、縦走部4人全員での登頂です。
13:55(やったね!)
残念ながら去年に引き続き山頂からの視界はゼロですが、楽しみはまた来年以降に取っておけばいいだけの話。今回は気象条件が悪かっただけに、「なかなかアドベンチャーな山登りだったね」とお互いの無事を喜び合いました。
おやおや、最近インスタに載せるためにカッコつけた写真をねだるアイミ君が、山頂でもポーズつけてますよ。
(リベンジできてよかったな!)
■下山
さあ、登ってきた道を戻りましょう。まだ半分しか終わっていません。慎重に慎重に。
(ひたすら下る)
所々雪の下に隠れている岩にてこずりながら下ります。何度も転んだちかちゃんが「もうアイゼン外しちゃおうかな」と言っていましたが、誰も賛成しません。アイゼンがなければ多分その3倍は転んだことでしょう。
下りの後半では、これも最近の雪山での恒例となったまりちゃんの膀胱満タン騒ぎがありました。騒ぐのではなく、逆に無言になるのですが😅。後日談ですが、ちかちゃんが転んでストップする度に(ああ、もうダメだ…)と絶望の縁をさまよっていたそうです。
なにはともあれ、ちかもまりもよく頑張ったね!
登山口の駐車場に帰り着いたのが16時半過ぎ。もちろん、駐車場には雪に埋もれた私たちの車だけしかありませんでした。
■宴会だ~
さて、次は個人的に山登りよりも楽しみにしていた宴会です。一旦茅野市街まで戻り、スーパーで今夜の宴会用の食料とお酒とおつまみと明日の朝食を調達しました。(私はこの買い出し宴会が大好き😍)
18時過ぎに白樺湖の湖畔に建つペンションに素泊まりでチェックインして、ゆっくりお湯に浸かり、待望のビールで「カンパーイ!」
(クーッ、これこれ😂)
3月が誕生月だったちか&まりのお誕生会と私の退職壮行会も兼ねた楽しい宴会で、いつもよりも多めに酔っ払ってしまった私でした。
■翌朝
次の日の朝は見事な快晴(確か去年もそうだったな)。白樺湖の向こうに諏訪富士の名に恥じない蓼科山が見えています。
(いい天気)
高速の諏訪南インターに向かう途中では、南から北までの八ヶ岳の全貌を見ることもできました。
(南八ヶ岳)
(蓼科山)
昨日は一日中雪が降り続いて何も見えませんでしたが、今日はこんなにも素晴らしい景色を見ることができました。それも縦走部の3人の仲間と一緒に。こうして今、この時のことを思い出しながらブログを書いていても、嬉しい気持ちになります。
いつまでもこの仲間とこんな山旅ができたらいいなあ、なんて。なんだかそんなことを思わせてしまう、日曜日の朝の八ヶ岳の姿でした。
(終わり)
おまけ
(ピンバッジ)
(ちかちゃんとアイミ君)
(まりちゃん)
(泊まったペンション)
(白樺湖をバックに)
おしまい
ここまでお読み頂きまして、大変有難うございました。本ブログに関して、ご意見・ご感想などございましたら、下記アドレスまでメールをお願いいたします。お気軽にどーぞ。
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´20年2月15日~16日 八ヶ岳 黒百合ヒュッテに雨が降る!
(二日目の朝。黒百合ヒュッテの前で)
⛰️雪山シーズン真っ只中のはずなのに、暖冬で全国的な雪不足。廃業を決めたスキー場まで出てくる始末です。とは言え、さすがに八ヶ岳なら大丈夫だろうと、縦走部で天狗岳へ行ってまいりました。そのあたりの顛末を書かせていただきましたので、よろしければ、ご一読のほど、お願いいたします。
■ステップアップ
北八ヶ岳の天狗岳は、雪山を始めて2年目の人、もしくはビギナーから少しステップアップを図ろうと考えている人向けによく推奨されている山です。私が思うに、その理由は次のようなものでしょう。
・森林限界を越えた雪山登山を経験できる
・森林限界を越えてからの行動距離と時間がそれほど長くない
・厳冬期も営業している山小屋『黒百合ヒュッテ』を起点にすれば、標高差300m足らずで登頂できる
・何かトラブルに見舞われても黒百合ヒュッテに逃げ込める
私たち縦走部でも、わりと早いうちから来年の雪山シーズンにはここに来ようねと決めていました。2年前に素通りした『黒百合ヒュッテ』に泊まってみたい!というのもあったし。
結果的には、ちか&まりの雪山装備を整えるいいモチベーションにもなったと思っています。前回の黒斑山までに冬靴と12本爪アイゼンと、持っては来なかったけどピッケルを準備した二人でしたが、私がしつこく「雪山にはワカンが必携だぞ~、森林限界をなめんなよ~」と脅して、ワカンも買い揃えてもらいました😅
(まりちゃんのリュックにくくりつけられた黒いワカンケース)
■出発
新宿7時発のあずさ1号に乗るため、まだ暗い道を私はウキウキしながら北浦和駅に向かって歩いていました。この時点ですでに登山モード全開です。ふと前を見ると、私と同じように登山リュックを背負った女性が100mほど先を歩いているではありませんか。
(そうかそうか、北浦和にもこんな暗いうちから出かけていく登山愛好者がおるんやなー)と、うれしくなった私は、俄然歩くスピードを早めました。今考えると、あの時私はまるで山中を2時間さまよい、やっと自分以外の登山者を見つけたときのような、嬉しさと安心感と、そして妙な連帯意識が芽生えてしまったのだと思います。
駅の階段の手前でその女性に追いついた私は、満面の笑みを浮かべて「おはようございます!」と声をかけてしまいました。まさに、山ですれ違ったときに交わす挨拶のように。私の妄想では、
『今日はどちらの山まで?そうですか、私は八ヶ岳です。それじゃあお気をつけて!』
という会話までも完璧に出来上がっていましたが、相手の女性はまだ山モードに切り替わっていなかったのは言うまでもなく、ましてや2時間ぶりに人の姿を見かけた安堵感のかけらも持ち合わせていなかったのです(当たり前じゃ!)。
「はあっ?!?!・・・」
いきなり見ず知らずの男に声をかけられたその女性(私より少し年配な感じでした)は、驚いた顔で私を見つめて(この人誰?今日のメンバーさんにこんな人いたかしら?)←私の勝手な想像😅 というような顔のまま完全にその場で固まってしまいました。安堵感どころか、恐怖感を与えていることは明白です。
(まずい!)その様子で我に返った私は、逃げるように改札への階段を足早に上がっていったのでした。いやー、参った参った。
なんやかやで、6時半には新宿駅に到着。ここまでの道のりでストーカーまがいの事をやってしまったことはおくびにも出さず、改めて縦走部のメンバーと爽やかにおはようの挨拶を交わし、あずさ1号に乗り込みました。
■茅野へ、渋の湯へ
さて、今回の計画は次のようなものです。
【1日目】
移動:新宿→茅野(JR)、茅野駅前→渋の湯温泉(バス)
登山ルート:渋の湯登山口→黒百合ヒュッテ(泊)
※ヒュッテ前で雪山アイゼンとピッケルの使い方ミニ講習会
【2日目】
登山ルート:黒百合ヒュッテ→東天狗岳・西天狗岳→黒百合ヒュッテ→渋の湯
移動:(行きと同じ)
※茅野駅前の居酒屋で反省会
麓の天気予報では今日は《晴れ》、明日は《曇り時々雨》ということで、肝心の明日がよくありません。さらに数日前から最高気温が17~8℃と暖かい日が続いており、なんと今日明日にも日本列島に春一番が吹くのではないかとテレビの天気予報が言っていました。2月中旬だというのにまったく。
茅野駅前でバスに乗り換え、終点の渋の湯に着いたのが10時10分頃(バス代1,200円)。準備を整え(公衆トイレあり)、11時前には入山したと思います。さあ、目指すは標高2,400mの地点に建つ黒百合ヒュッテです。
(出発~)
■黒百合ヒュッテへ
登山道はアイゼンが効く位の雪の量はしっかりとありましたが、周りの樹々に降り積もった雪はすっかり溶け落ちていました。暖冬ですもんねー。
(登山道)
足元は最初から全員12本アイゼンを装着していますが、手元にはピッケルではなくストックを持ちました。渋の湯から黒百合平(ヒュッテの建っている場所)まで、今回はストックがあれば十分な道のりだったと思います。
(前からまり、ちか、アイミ君)
すぐに暑くなって、途中二度も服を脱ぎました。私は一度目にハードシェルの下に着ていたフリースベストを脱ぎ、二度目にはハードシェルそのものも脱いでしまいました。他の登山者の人たちもみんなシャツの袖をまくり上げて登っています。春スキーの格好と言ったらいいのか、そんな感じでした。
(みんなシェルを脱いだ)
途中でこんな可愛い標識を見つけたり、
(アヒルの大群)
《バックカントリー穂高》の太田店長の雪山講習の一行とすれ違ったりしながら、13時10分に黒百合平(標高2,400m)に到着。登山口の渋の湯から2時間半近くかかりました。
13:10(到着~)
明日の天気が怪しいので、黒百合平の到着時間次第ではこのまま天狗岳に登ることも考えていたのですが、これから昼食休憩+東天狗までの往復3時間半(コースタイム)では諦めるしかありません。
皆、アイゼンを外して黒百合ヒュッテにチェックインしました。(一泊二食付き9,500円)
(受付)
■雪山講習
まずは腹ごしらえです。私以外の3人はヒュッテ名物のビーフシチューセット。
(1,600円)
私はYouTubeで見つけた、やけに旨そうだったチキンカレーを迷わず頼みました。ホロホロに崩れる柔らかいモモ肉が丸ごと入ってますよ!
(1,800円)
ヒュッテの受付にいた気の良いおじさんに「前の丘で雪上訓練しようと思ってるんですけど、いいですかね?」と一応相談してみたら「もちろんいいですよ!ぜひ、やってください。このあとモンベルや他の団体もやってきて講習するみたいですよ」と言われました。
(モンベルか~、気が重いな~)と思いながらも、みんなにもう一度アイゼンを付けてもらい、ピッケルを持って外に出ました。さあ、ちか&まり用に準備したにわか雪山講習の開催です。にわかと言いながら、実は私はこれまでにアイミ君と一緒に受けた講習を十分に反芻し、YouTubeでも同じような講習動画を何度も見直して、自分なりの理論(?)と講習の流れはほぼ完璧に出来上がっていました(お前は暇か!😅)
(偉そうに講習中の私)
(滑落停止!!)
アイゼンを付けての雪山歩行はフラットフッティングからキックステップまで。さらに、ピッケルの持ち方からピックを使った確保の仕方、滑落中の停止方法など、たっぷり1時間以上はやったでしょうか。途中でいくつかの団体が同じように講習をしていましたが、結局最初に始めて最後までやっていたのは私たちでした。
他の団体のコーチも、まさか私がど素人の付け焼き刃コーチだとは思わなかったと思います。私も途中から調子に乗ってきて、大きな声で付け焼き刃理論をぶちかましていました。
■天狗岳だ!
訓練が一段落終えた頃、いつの間にか姿をくらましていたアイミ君が丘の上から降りてきました。
「ねえねえ、この丘を登るといい景色が見れるから行ってみない?」と言います。私は(講習手伝いもせずにどこ行ってたんだ、まったく)と心の中で不満を呟きながらもアイミ君の後に続いて丘を登って行きました。すると、
「わあっ!!!」
(手前は天狗の奥庭)
丘の上に登ると、私たちの真正面に東天狗と西天狗の二峰がくっきりと姿を現していたのです。曇り空の下でこんな景色が広がっていたとは全くの予想外でした。
天狗岳から右の方に視線を向けると、夕日に浮かぶ御嶽山や北アルプスの峰々がよく見えました。
(御嶽山)
結局、翌日は朝から雨になり、私たちは登頂を諦めてヒュッテから直接下山することになりました。なので、このときこの景色を眺められたことは本当に幸運だったと思います。(ナイス、アイミ君!)
そういえば、丘を登ったことで私たちはもう一つ貴重な経験をしました。それは『風』です。まだ本物はこんなものではないかもしれませんが、丘の上は凄い風が吹いていました。さすが森林限界を越えた場所の風は強いです。そんな中でも記念写真を一枚、パシャッ。
(と、と、撮るよ~!)
(アイミ君、ちか、まり。そう見えないが強風)
■消灯
18時に夕食、20時半に消灯で黒百合ヒュッテの夜は更けていきました。この日のヒュッテは満員で、私たちが寝た3階の屋根裏(天井が低くて立てない)は一人に一枚の布団があてがわれていましたが、下の階はそうはいかなかったみたいです。
実は私は数日前から風邪気味で、前日も皆には↓のようなLINEを送っていました。結局は熱も出ず、元気に出発したのですが。
(前日に入れたLINE)
消灯後は布団の中で少し出始めていた咳を堪えていましたが、いつしか眠ってしまいました。
■翌朝、下山
翌日は朝から雨。ヒュッテの出入り口に掛けてある温度計は+2℃を示していました。この雨と、昨日経験した風が吹き付けるなかで2,700m近い雪山を登ることは危険だし、なんといっても楽しくない。ということで、早々に下山を決めました。
(また今度だな)
私は山でそう思う度に、私たちの母校T高校山岳部出身にして縦走部顧問のうがちんが言ってくれた金言を思い出します。彼は、2年前の夏、台風が近づく北アルプス表銀座をテント泊で縦走しようとした私たちに「止めとけ」と冷静にアドバイスしてくれました。そして、
「山の『また今度』はよくある話だよ」と説いてくれたのです。
私はその言葉に二つの意味を読み取りました。一つは、山の天候は変わりやすいから一喜一憂するなというような意味。二つ目は、悪天候の時は潔く撤退しろ。せっかく休みを取ってここまで来たんだから、などという気持ちが無理な行動につながり遭難に至ってしまう元凶なんだ、と。また今度があるじゃないかと、また次来ればいいさと。
悪天候に計画の変更を余儀なくされたとき、うがちんのこの金言はいつも私を慰め、元気付けてくれるのです。
8:22(出発の朝)
雨の登山道をひたすら下り、2時間かからずに下山口の渋の湯に着きました。
10:11(渋の湯前で雨宿り)
渋の湯からはタクシーに乗り、途中で温泉に寄って汗と疲れを落としてから茅野駅に向かいました。(茅野→あずさ→新宿)
新宿では居酒屋の開店待ちをしてなだれ込み、
17:08(カンパーイ!お疲れさま!)
少しだけ危険が伴う山登りという趣味。一番大事なのは、多分こうやって無事に帰り着くことなんでしょう。そんな思いを強くした、今回の八ヶ岳でした。(ゴホッゴホッ😷)
(終わり)
その他のスナップ
(黒百合ヒュッテ内の様子)
(か、風が…)
(暑ち~💦)
(ソリ遊びもしました。ギャーッ)
(アイミ君、神になる)
(おしまい)
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吉田拓郎のこと
(LIVE´73のジャケット写真)
昨年、急に思い立って吉田拓郎のCDをAmazonで購入した。そのCDとは、
よしだたくろう LIVE´73
そう、タイトルからもわかるように、1973年にリリースされたライブ盤である。なんとなんと、今から47年前だ。
◆◇◆◇◆
兄の強い影響で小学校の6年生くらいから吉田拓郎を聴き始め、中学生になると親にせがんでギターを買ってもらい、必死にコピーした。最初に弾けるようになった曲は『夏休み』だった。途中でかぐや姫あたりに浮気した時期はあったが、大学で広島に行ってからまた拓郎熱が再燃した。
♪ふるさとーは、愛すべーき、ひろしーまー。そこにはー、恋人もいたっけー♪
と『人間なんて』で拓郎が歌っていたその広島に来てしまったのだから、これは自然の成り行きだったろう。偶然だが、住んだアパートも拓郎の実家と近かった。
しばらくして、拓郎狂いのエイジという友だちができて拓郎熱は一気に加速する。レアものの古いアルバムや、つま恋か篠島の伝説のオールナイトコンサートが違法録音されたカセットテープなど、沢山の珍しい音源をエイジから貰って夜な夜な聴いていた。
どうやって手に入れたか覚えていない中古のフォークギターを抱え、古いアパートの部屋でいつもいつも拓郎を弾いて歌っていた。エイジの下宿にも入り浸っていた。そういえば、新しくアルバムが出ると、必ず拓郎ゆかりのカワイ楽器本店まで買いに行っていたことも今思い出した。
学生最後の年(1985年)の夏、大学を留年してひとりぼっちになってしまった俺は、再び伝説の地・つま恋で開催されることになったオールナイトコンサート《ONE LAST NIGHT in つま恋》の会場に一人向かっていた。なんとなく今回が最後という気がしていた。拓郎が朝までコンサートをやることが、そして俺自身が「たくろー!」と叫ぶことが。
つま恋では、拓郎と一緒に夜を徹してエンディングの『明日に向かって走れ』まで叫び続けた。しかし、しらじらと夜が明けてきた空をふらつく足取りで見上げたあの朝のことは、もう記憶の片隅にわずかに残っているだけだ。
(この日の模様を収録した2枚組ライブ盤)
◆◇◆◇◆
東京の会社に就職が決まり、ギターをバイト先の先輩にやって、買い集めたアルバム類は全部実家に送った。拓郎に関するものは何も持たずに上京した。そして、社会人になってからは憑き物がおちたように拓郎とは無縁の生活に没頭した。
実は大学の頃から、少しずつ拓郎の作る歌とシンクロできなくなっている自分に気が付いていた。新譜が出るたびに、(なんか違う。心に響かない)と思うことが多くなってきていたのだ。
ある日、会社の先輩がカラオケで拓郎の『イメージの詩』を歌っているのを聞いて、(えっ?拓郎ってカラオケで歌ってもいいの?)と物凄くびっくりしたことがある。以降も、その先輩とカラオケに行くとき以外は、これっぽちも拓郎のことを思い出すことはなかった。
◆◇◆◇◆
就職し、広島を離れてから35年近く経つが、この間の拓郎の動向を俺はほとんど何も知らない。KinKi Kidsとテレビ番組をやっていたことくらいしか知らない。新しい曲も全然知らない。ファンでなくなったというのとは少し違うが、今の拓郎の歌に興味が湧かないのは事実だ。
振り返ると、この35年近くの間、俺は意識的に拓郎と距離を置いてきたように思う。なぜなら、吉田拓郎のことを考えると胸が締め付けられて苦しくなるからだ。
それは、高校や大学の頃の幼稚で不器用な恋愛に似ている。ふと思い出すと、もどかしく、胸が締め付けられて息苦しくなる、そんな未熟な恋愛。あの頃俺は間違いなく拓郎を愛していた。そんな青春を思い出し、胸が締め付けられるのかもしれない。
◆◇◆◇◆
で、冒頭のCD《よしだたくろう LIVE´73》である。
『よしだたくろう LIVE '73』は、1973年12月21日に吉田拓郎(当時はよしだたくろう)がリリースしたライブ・アルバムである。1973年11月26・27日に東京中野サンプラザホールで行われたライヴ音源。
【Wikipediaより】
初期の拓郎のアルバムの中でも傑作と言われている名盤だ。ライブの臨場感を出すために、あえてヴォーカルの音量だけ不自然に上げることをしていない。なので、周りの演奏の音にかき消されて拓郎の歌声が聴きずらかったりするが、それも含めてコアな昔のファンにはたまらない一枚となっている。
一流ミュージシャンたちに加えてブラスとストリングス・セクションをバックにした、当時のロックコンサートとしてのクオリティの高さで群を抜く、日本のレコード史上最初の本格的なライヴアルバムともいわれる。
【Wikipediaより】
(ライナーノーツより)
中身は名曲・名演奏揃いだが、2曲だけ簡単に語らせていただこう。まずは『落陽』だ。
今はどうか知らないが、俺の大学時代までは拓郎のコンサートで一番盛り上がる曲と言えばこの『落陽』だった。この曲はアコースティックギターでジャンジャカジャンジャカ弾くのも楽しいが、やっぱりエレキギターがあの前奏を奏で始めた時の興奮と聴衆の盛り上がりは何ものにも代えがたい。去年行ったサザンのコンサートで『勝手にシンドバッド』が始まった時の会場の盛り上がりを個人的には超えると思っている(サザンのファンの皆さんごめんなさい!)。
それほどに有名な楽曲なので、このライブCDを聴いていても勘違いしそうだが、実はこの時この場所にいた聴衆は『落陽』という曲を初めて耳にした。いわゆる初出しだったのだ。このCDに納められている13曲中なんと9曲までもが初披露の曲なのである。そんなコンサートはあとにも先にも聞いたことがない。『落陽』もその一つだった。
この『落陽』、ぜひ一度聴いてみて欲しい。高中正義のリードギターが、まるで北の海に漂うウミネコの声のように切なく胸に響く。間奏での高中のギターソロなど今聞いてもしびれること請け合いだ。
(ライナーノーツより)
そしてもう一曲。このアルバムの最後を飾る楽曲が『望みを捨てろ』だ。
俺が今回47年前のライブCDを購入するに至ったのは、この曲のせいだ。去年、なんとなく会社帰りにこの曲のフレーズを口ずさみ始めたら、どうしてももう一度聞きたいと思うようになった。拓郎狂いのエイジが、「これ、最後は歌を超越してるよね」(実際はひどい山口弁)と言っていたことも思い出した。この曲のラストで、拓郎の歌は叫びになり慟哭になり祈りになる。それをエイジは「歌を超えた」と表現したのだ。(ああ、もう一度聴きたい!あのラストをもう一度聴いてみたい!)ということで、ポチったのであった。
◆◇◆◇◆
去年の12月、縦走部で行った榛名山の帰りの車中で、恐る恐るこのCDをかけてみた。まりちゃんが、「拓郎、うちのお兄ちゃんが好きだったなー」とつぶやいた。そうなのだ。拓郎がど真ん中の世代は、実は俺たちよりも少し上の《お兄ちゃんの世代》なのである。
『LIVE´73』が流れる車内で、助手席のアイミ君はとっくに夢の中。後部座席のちかちゃんとまりちゃんの話し声もいつしか止んだ。耳をすませば二人の寝息が聞こえてきそうだ。夜の関越道に車を走らせながら、BGMに拓郎をセレクトしてしまったことを少し後悔して、俺はボリュームを下げた。
(終わり)
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'20年1月25日 黒斑山で浅間山とご対面!🌋
(浅間山とちかとまり)
⛰️黒斑山という山をご存知でしょうか。
気象庁にランクAの活火山として指定され、今も入山規制が続く浅間山を間近で眺めることができる山。そして、雪山入門コースとしても人気の高い山、それが今回のターゲット黒斑山です。令和二年最初の、縦走部の山始めとして行って参りましたので、どうぞご一読のほどお願いいたします。
■スキーバスに潜り込め!
東京から黒斑山へ行くには電車+バスか、マイカーというのが一般的です。しかし、佐久平駅から出るバスに間に合うためには東京ー佐久平間に北陸新幹線を使う必要があります。さりとて、マイカーはノーマルタイヤとチェーンでは厳冬期の山はハードルが高過ぎる。登山口は標高2,000m近いので、道路は凍結必至です。。
ということで、どなたかの登山ブログで見つけたのがスキーバスの利用でした。《アサマ2000パーク》というスキー場から登山口までは徒歩15分という至近距離。登山バスと違って競争の激しいスキーバス業界は料金も格安。新宿とスキー場の往復5,800円は、片道の新幹線代より安いのです。しかも、リフト券付きだし(使いませんけど)。
【利用したスキーバス】
オリオンツアー
(新宿発7:20→スキー場着10:30)
都庁近くのスキーバス集合場所で受付を行い、スノーボードを抱えた若者が溢れる中、山登り姿の中年4人組がバスに乗り込みました。
(ごった返す都庁前)
(ずいぶん久しぶりに都庁を仰ぎ見る)
■いざ黒斑山へ
関越の事故渋滞で一時間以上の延着となり、11時入山の予定に対してスキー場を出たのが12時を大きく回ってしまいました。
12:20(スキー場から登山口へ向かう)
登山口の《車坂峠》でアイゼンを着けます。そうそう、言い忘れてましたが、今回ちかまりコンビもついに保温材入りの冬靴を導入しました!二人ともスカルパの最新モデルです。これで、雪山2シーズン目にして縦走部全員が冬靴と12本爪アイゼンを装備したことになります。すごいですねー。
(ライムグリーンのスカルパが格好いい)
帰りのバスの集合時間が16時20分なので、ここ車坂峠へは遅くとも16時までに戻る必要があります。黒斑山山頂からの下山にかかるコースタイムは1時間30分。逆算すると山頂を14時半がリミットです。メンバーには「途中で引き返さないといけないかも知れない」と伝えて、12時45分頃出発しました。
■山頂へ
登りは眺望がいいと聞いた《表コース》から行きました。カラマツとシラビソの森の中へ分け入ると、足元の雪は十分な積雪量としっかりした踏み跡で、とても歩き易い登山道です。
30分ほどで見晴らしのいい場所に出ました。登山口の車坂峠ですでに標高が1,973mありましたので、ここはもう2,000mをはるかに超えた世界。遠くに雪をかぶった北アルプスの山並みがきれいに見えます。槍ヶ岳もはっきり視認できました。
(遥か北アルプスを望む)
左のほうに目を転じると、遠く中央アルプスが霞み、割と近くで八ヶ岳が雲の上に浮かんでいます。
(雲に浮かぶ八ヶ岳)
こうして立ち止まって遠くの山並みを眺めていると、少し汗ばんでいた首筋に気持ちいい風が吹いてきて、(ああ山っていいなあ)なんて感じる瞬間です。
さらに進みましょう。途中で雪に埋まりそうな噴火避難用シェルターを見つけました。登山口にあった掲示板によると、今日は噴火警戒レベル1です。
登るに連れて、行く手の空が少しずつ広がってきました。もうすぐ稜線に出るのかなと思うと、疲れてきた体にまた元気が湧いてきます。そして、しばらく登ると一気に眺望が開け、今日の主役である浅間山が目の前にドーン!と現れました。
(グレートマウントアサーマ!と叫んでいる私)
いや〜、すごい迫力です。よく牛乳プリンやガトーショコラに例えられる冬の浅間山ですが、今日はガトーショコラっぽいですかね。
(webより)
■登頂断念
時計を見ると、この時点で14時を回っていました。残り山頂までのコースタイムを考えると、今日は途中で引き返したほうが賢明と判断。浅間山の左手前に見える《トーミの頭》までは行って、そこから引き返すことにしました。
(一旦下って登り返す)
20分足らずでトーミの頭(標高2,320m)に到着。ここは黒斑山も含めた浅間山の第一外輪山の一部になります。
(外輪山の連なり。一番左が黒斑山)
足元は切り立った崖になっていて、恐る恐る下を覗くと、そこには今日一番の絶景が広がっていました。浅間山と第一外輪山の間に広がる通称《賽の河原》と呼ばれる火口原です。
この辺りの景色はコーカサス地方の風景にも例えられると、ウィキペディアに書かれていました(コーカサス地方がどこにあるかも知らない私…)。葉の落ちたカラマツが雪を背景に美しいシルエットを作っています。
(カラマツ林)
浅間山をバックに今年最初の集合写真も撮りました。はいパチリ。
ここからも、雲に浮かぶ中央アルプスと八ヶ岳の幻想的な姿が見えています。よく目を凝らしてみると、八ヶ岳の峰の間になんと南アルプスの甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳も見えるではないですか。
八ヶ岳にズームイン!
(左に甲斐駒、右に仙丈)
黒斑山の登頂はできなかったけれど、そのお陰で《トーミの頭》でいろんな景色をじっくり堪能することができました。山頂を目指していたら、ここでは記念写真を何枚か撮るだけで足早に通り過ぎていたはずです。
■下山
めいめいに軽くお腹を満たし、14時50分頃に下山を開始しました。帰りは《中コース》で車坂峠まで下りる予定でしたが、途中でスキー場まで直接行けるショートカットのルートを見つけ、案内板に従って進みました。
トーミの頭から車坂峠まで60分(コースタイム)のところ、近道のおかげで50分ほどで直接スキー場の入り口に出た私たち。こんな登山口あったっけ?と振り返ってみると、手書きで「スノーシューコース」と書かれた小さな案内板が立っています。登山地図にはない、冬だけのルートなのかもしれません。
スキー場の建屋で荷をほどき、身支度を整えてバスに乗り込みました。結果的に今日の行動時間は4時間にも満たないものでしたが、短いながらも素晴らしい景色に出会うことができたし、楽しい雪山トレッキングをすることができました。それに、ちかとまりにとっては、初おろしの冬靴の慣らし登山として丁度いい負荷だったかも。
16時半に予定通り出発したバスは、これまた予定通りの19時40分に新宿駅前に到着。降りたバスから一番近いビルの居酒屋になだれ込んで、
(カンパーイ!)
喉を潤しお腹を満たしながら、今年の年間山行計画をざっくりと決めたりして、楽しい新宿の夜は更けていきましたとさ。
(終わり)
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