吉田拓郎のこと

f:id:arakabu625:20200203190737j:image(LIVE´73のジャケット写真)

昨年、急に思い立って吉田拓郎のCDをAmazonで購入した。そのCDとは、


よしだたくろう LIVE´73


そう、タイトルからもわかるように、1973年にリリースされたライブ盤である。なんとなんと、今から47年前だ。

 

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兄の強い影響で小学校の6年生くらいから吉田拓郎を聴き始め、中学生になると親にせがんでギターを買ってもらい、必死にコピーした。最初に弾けるようになった曲は『夏休み』だった。途中でかぐや姫あたりに浮気した時期はあったが、大学で広島に行ってからまた拓郎熱が再燃した。

 

♪ふるさとーは、愛すべーき、ひろしーまー。そこにはー、恋人もいたっけー♪

と『人間なんて』で拓郎が歌っていたその広島に来てしまったのだから、これは自然の成り行きだったろう。偶然だが、住んだアパートも拓郎の実家と近かった。

 

しばらくして、拓郎狂いのエイジという友だちができて拓郎熱は一気に加速する。レアものの古いアルバムや、つま恋篠島の伝説のオールナイトコンサートが違法録音されたカセットテープなど、沢山の珍しい音源をエイジから貰って夜な夜な聴いていた。

 

どうやって手に入れたか覚えていない中古のフォークギターを抱え、古いアパートの部屋でいつもいつも拓郎を弾いて歌っていた。エイジの下宿にも入り浸っていた。そういえば、新しくアルバムが出ると、必ず拓郎ゆかりのカワイ楽器本店まで買いに行っていたことも今思い出した。

 

学生最後の年(1985年)の夏、大学を留年してひとりぼっちになってしまった俺は、再び伝説の地・つま恋で開催されることになったオールナイトコンサート《ONE LAST NIGHT in つま恋の会場に一人向かっていた。なんとなく今回が最後という気がしていた。拓郎が朝までコンサートをやることが、そして俺自身が「たくろー!」と叫ぶことが。

 

つま恋では、拓郎と一緒に夜を徹してエンディングの『明日に向かって走れ』まで叫び続けた。しかし、しらじらと夜が明けてきた空をふらつく足取りで見上げたあの朝のことは、もう記憶の片隅にわずかに残っているだけだ。

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(この日の模様を収録した2枚組ライブ盤)

 

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東京の会社に就職が決まり、ギターをバイト先の先輩にやって、買い集めたアルバム類は全部実家に送った。拓郎に関するものは何も持たずに上京した。そして、社会人になってからは憑き物がおちたように拓郎とは無縁の生活に没頭した。

 

実は大学の頃から、少しずつ拓郎の作る歌とシンクロできなくなっている自分に気が付いていた。新譜が出るたびに、(なんか違う。心に響かない)と思うことが多くなってきていたのだ。

 

ある日、会社の先輩がカラオケで拓郎の『イメージの詩』を歌っているのを聞いて、(えっ?拓郎ってカラオケで歌ってもいいの?)と物凄くびっくりしたことがある。以降も、その先輩とカラオケに行くとき以外は、これっぽちも拓郎のことを思い出すことはなかった。

 

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就職し、広島を離れてから35年近く経つが、この間の拓郎の動向を俺はほとんど何も知らない。KinKi Kidsとテレビ番組をやっていたことくらいしか知らない。新しい曲も全然知らない。ファンでなくなったというのとは少し違うが、今の拓郎の歌に興味が湧かないのは事実だ。

 

振り返ると、この35年近くの間、俺は意識的に拓郎と距離を置いてきたように思う。なぜなら、吉田拓郎のことを考えると胸が締め付けられて苦しくなるからだ。

 

それは、高校や大学の頃の幼稚で不器用な恋愛に似ている。ふと思い出すと、もどかしく、胸が締め付けられて息苦しくなる、そんな未熟な恋愛。あの頃俺は間違いなく拓郎を愛していた。そんな青春を思い出し、胸が締め付けられるのかもしれない。

 

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で、冒頭のCD《よしだたくろう LIVE´73》である。

よしだたくろう LIVE '73』は、1973年12月21日に吉田拓郎(当時はよしだたくろう)がリリースしたライブ・アルバムである。1973年11月26・27日に東京中野サンプラザホールで行われたライヴ音源。 

Wikipediaより】

初期の拓郎のアルバムの中でも傑作と言われている名盤だ。ライブの臨場感を出すために、あえてヴォーカルの音量だけ不自然に上げることをしていない。なので、周りの演奏の音にかき消されて拓郎の歌声が聴きずらかったりするが、それも含めてコアな昔のファンにはたまらない一枚となっている。

一流ミュージシャンたちに加えてブラスとストリングス・セクションをバックにした、当時のロックコンサートとしてのクオリティの高さで群を抜く、日本のレコード史上最初の本格的なライヴアルバムともいわれる。

Wikipediaより】


f:id:arakabu625:20200206063930j:image(ライナーノーツより)

 

中身は名曲・名演奏揃いだが、2曲だけ簡単に語らせていただこう。まずは『落陽』だ。

 

今はどうか知らないが、俺の大学時代までは拓郎のコンサートで一番盛り上がる曲と言えばこの『落陽』だった。この曲はアコースティックギターでジャンジャカジャンジャカ弾くのも楽しいが、やっぱりエレキギターがあの前奏を奏で始めた時の興奮と聴衆の盛り上がりは何ものにも代えがたい。去年行ったサザンのコンサートで『勝手にシンドバッド』が始まった時の会場の盛り上がりを個人的には超えると思っている(サザンのファンの皆さんごめんなさい!)。

 

それほどに有名な楽曲なので、このライブCDを聴いていても勘違いしそうだが、実はこの時この場所にいた聴衆は『落陽』という曲を初めて耳にした。いわゆる初出しだったのだ。このCDに納められている13曲中なんと9曲までもが初披露の曲なのである。そんなコンサートはあとにも先にも聞いたことがない。『落陽』もその一つだった。

 

この『落陽』、ぜひ一度聴いてみて欲しい。高中正義リードギターが、まるで北の海に漂うウミネコの声のように切なく胸に響く。間奏での高中のギターソロなど今聞いてもしびれること請け合いだ。

f:id:arakabu625:20200206063954j:image(ライナーノーツより)

 

そしてもう一曲。このアルバムの最後を飾る楽曲が『望みを捨てろ』だ。

 

俺が今回47年前のライブCDを購入するに至ったのは、この曲のせいだ。去年、なんとなく会社帰りにこの曲のフレーズを口ずさみ始めたら、どうしてももう一度聞きたいと思うようになった。拓郎狂いのエイジが、「これ、最後は歌を超越してるよね」(実際はひどい山口弁)と言っていたことも思い出した。この曲のラストで、拓郎の歌は叫びになり慟哭になり祈りになる。それをエイジは「歌を超えた」と表現したのだ。(ああ、もう一度聴きたい!あのラストをもう一度聴いてみたい!)ということで、ポチったのであった。

 

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去年の12月、縦走部で行った榛名山の帰りの車中で、恐る恐るこのCDをかけてみた。まりちゃんが、「拓郎、うちのお兄ちゃんが好きだったなー」とつぶやいた。そうなのだ。拓郎がど真ん中の世代は、実は俺たちよりも少し上の《お兄ちゃんの世代》なのである。

 

『LIVE´73』が流れる車内で、助手席のアイミ君はとっくに夢の中。後部座席のちかちゃんとまりちゃんの話し声もいつしか止んだ。耳をすませば二人の寝息が聞こえてきそうだ。夜の関越道に車を走らせながら、BGMに拓郎をセレクトしてしまったことを少し後悔して、俺はボリュームを下げた。

 

(終わり)


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