'17年8月4日 富士山で山登り開眼!
(2017.8.4 富士山山頂にて)
🗻このブログにも何度か書いた気がしますが、私がこの歳で山登りに目覚めたきっかけは昨年(2017年)の夏に一人で行った富士山です。もう1年以上も前の話ですが、ふと記録に残しておきたいと思い立ち、薄れていく記憶を呼び戻しながら綴っていくことにしました。
大して面白いことがあったわけではありませんが、私にとっては忘れられない忘れたくない山登りでした。よろしければお付き合いください。
◼️10年越しの富士山
私が富士登山に興味を持ったのは、今から10年前のことです。会社の引き出しの奥のほうに入れっぱなしだった「富士山ブック2008」というガイドブックがそう教えてくれます。しかし、それから何年も自分がそう思っていたことさえ忘れていました。山と関係のない話で恐縮ですが、この10年の間に仕事環境が激変したことが理由です。
2008年のある日の朝、当時私が働いていた会社が私の所属する事業部門を他社へ売却するということを、家に届けられた日経新聞の一面トップ記事で知りました。青天の霹靂(へきれき)とはこういうことを言うのでしょう。路頭に迷うかもしれない、という押しつぶされそうな不安から、家族のために何とかしなくてはいけないという気持ちに切り替え、それからの10年を必死に頑張ってきました。その間、たまの出張で新幹線から富士山を眺めているときも、かつて自分がそこに登りたいと思っていたことを思い出すことはありませんでした。
新幹線の車窓から見る富士山
3年前、今の会社に移って最初に配属された部署にOさんという私よりも5歳年長の方がいらっしゃいました。そのOさんが、「去年ふと思い立って富士山に登ってみました。ええ、朝から登り始めれば、夕方には下山できますよ」と言うのです。「富士山てそんな気軽に登れるんですか!?」と驚いたのをよく覚えています。
(日本一高い山でも日帰りで行けるんだ。しかも、このOさんができるんだから俺でも…)そして、ずいぶん前に自分も富士山に登りたいと思っていたことを思い出したのです。
(確かこのあたりに…)と机の引き出しの奥のほうを探すと、例のガイドブックが出てきました。会社や部署が変わって何度も引越ししましたが、引っ越し荷物の中にいつもこのガイドブックは入っていたのです。
(俺も富士山に登ってみたい!)8年ぶりに気持ちが高まってきました。それが一昨年のことです。
◼️準備
次の年の夏に狙いを定め、計画を練り準備を始めました。何通りかある登山ルートを最もメジャーな吉田口ルートに決め、朝一番から登り始めるために前日の夜はふもとの駐車場で車中泊をすることにしました。これまで車中泊をしたことがなかったので、それ用のマットを購入し、車の窓の目張りを自作、夏は暑かろうとリアウィンドウ用に網戸も自作。そして、翌春には山梨の方へ出掛けて車中泊の予行演習も行ないました。
次は装備です。基本はそれまでに持っていたものを使いました。新しく購入したのはモンベルの山シャツ。それらしいものを着て気分を盛り上げるためです。それと、ネットで安いカーボンのストックを買いました。富士登山のために買ったのはこの二つだけだったと思います。
部屋に吊り下げて気分を盛り上げていました
三種の神器と言われるレインウェアは、ゴルフ用に強力なカッパが欲しいと何年か前にモンベルで山岳用のモデルを買っていました。当時は、雨合羽が上下別売りで、しかも高価だったことに驚いたものです。リュックは、これまたモンベルで10年くらい前に25Lのデイパックを購入していました。子供が小さい頃にオートキャンプにはまっていた時期があったので、山を始める前から私はすでに軽いモンベラーだったのです。
出発前。ゼロポイントのデイパックとストック
そして、シューズ。これも一応持ってました。20年以上前に購入したGTホーキンスのなんちゃってトレッキングシューズです。確かショッピングセンターの靴屋で5,000円くらいだったと思います。これが後々大変なトラブルを起こしてくれるのですが、それはまだ先の話です。
夏休みの休日の富士山は激混みだという話を聞いたので、会社の一斉休日と重なった平日の金曜日、2017年8月4日(金)を決行日と決め、ドキドキワクワクしながらその日を待ちました。
当時作成したタイムスケジュールは次の通りです。
◎2017年8月3日(木)
19:30 帰宅
夕食&入浴
21:00 自宅出発
23:30 駐車場到着(富士北麓駐車場)
0:00 就寝
◎2017年8月4日(金)
4:30 起床、準備、朝食
5:30 シャトルバス出発、仮眠
6:15 スバルライン5合目到着、高地順応
7:00 登山開始
13:00 登頂、昼食
13:30 下山開始
16:30 5合目到着
17:00 シャトルバス出発、仮眠
17:45 駐車場到着
18:00 出発
18:30 温泉、夕食、入浴
20:30 温泉出発
23:00 帰宅
今読み返してみると、5合目からの登りに6時間、下りに3時間をみてますね。どうなんでしょう。
◼️富士山へ
8月3日(木)20時半に帰宅。予定より1時間遅れました。急いで風呂に入って夕食をいただき、妻が作ってくれた弁当と寝酒用の缶ビールを保冷袋に詰めて、22時に自宅を出発。夜の圏央道から中央高速を乗り継ぎ、山梨県立富士北麓駐車場に着いたのは日付も変わった4日の0時半頃です。夜の北麓駐車場は寒いくらいだったので、せっかく作った網戸の出番はありませんでした。
翌朝は5時に起床。弁当を急いで食べ、5時半に北麓駐車場を出発するシャトルバスに滑り込みました。予定では5合目までの45分で仮眠をとるはずでしたが、興奮して一睡もできません。6時過ぎにスバルライン5合目に到着。高度順応のため、出発は7時と決め、それまでの間周囲を散策したり、神社でお参りをして過ごしました。
とてもいい天気です。5合目からは富士山山頂は見えません。頂上のように見えているのは8合目あたりだと聞きました。
6:12 快晴!
また、このとき雲海というものを生まれて初めて見て驚きました。
(もう雲の上にいるんだ。すげえな)バスでやってきた5合目ですでに標高は2,300mを超えているのです。当時もすごいなと思いましたが、今あらためて、やっぱり富士山の高さは別格だなと思ってしまいます。
6:14 5合目から見えた雲海
登山口の辺りの仮設テントで入山料1,000円を徴収していました。そういえば入山料なるものを払ったのは後にも先にもこのときだけですね。「任意です」と言われましたが、ゴルフのプレーフィーに比べたら安いもんだと思って支払いました。
払うと貰える《富士山保全協力者証》
時間は7時🕖。いよいよ人生初の富士登山が始まったのでした。
7:07 出発!(変なおっさん💧)
◼️山頂へ
6合目(正確にはこの6合目から吉田口登山道となります)の登山センターみたいな所までやってきたところで、あまりの暑さに山シャツを脱ぎTシャツ一枚になりました。あたりは一面ガスに包まれています。
7:42 6合目
確かここでストックを出したと思います。
7合目に向かう途中で異変に気付きました。なんと右の靴底がこんなことに~!
8:04 あちゃー💦
とりあえず、持っていたバンダナで応急処置を施しました。
8:10 トホホ…
8時半頃に7合目到着。ここまで約1時間半、靴底以外は順調です。
8:37 7合目、花小屋(標高2,700m)
8:40 トホホ…
8合目に向かう途中で岩盤が露出した急坂が現れました。毎年17万人もの素人ハイカーが登るという吉田口ルートにこんなとこがあったとは。両手を使ってよじ登りましたが、夜中に登る弾丸登山のときはおっかないだろうなぁ。
9:08 まさかの岩坂
岩登りのすぐあと鳥居荘という山小屋の前に着きました。8合目だと思ったら、”本”7合目だって。
9:12 本7合目、鳥居荘(標高2,900m)
9:13 疲れてますねー
雨が降り始めたので、この山小屋のベンチでレインウェアを着込みました。5合目から見た時はあんなに天気良かったのに、やっぱり山の天気はコロコロ変わるんだなーなんて思いながら。
実はこの少し前の岩登りのあとでとんでもないことが起きていました。なんと左の靴底が、バンダナで縛っていた右の靴底ではなく左の靴底が気が付いたら全部取れていて無かったのです。
「えっ!?」
9:27 靴底が消えていた左の靴💧
登山道のどこかで靴底が剥がれ落ちてしまったようです。あとから来た人は驚いたことでしょう。仕方ない、そのまま登ります。30分後には8合目に着きました。
9:55 8合目、太子館(標高3,100m)
9:56 雨が降り続く
いつの間にか標高は3,100mを超えています。今だったら「わっ、3,100m!」てなもんですが、この時は標高について大した感慨はなかった気がします。高山病にならないように、定期的に深呼吸することだけ気を付けていました。
さて、もしも私が今同じ状況に置かれたらどうするでしょうか。左の靴底を失い、右の靴底も取れかかっている。そして、まだこれから700m近い標高差を登り、登ったあとは1,400mもの標高差を下るのです。ゴムがはがれた布地だけの靴で、これからの行程を歩き通せるはずがないと判断するでしょう。間違いなく撤退ですね。実際、このあと事態はどんどん悪化していくのですが、このときは全然不安はありませんでした。無知と未経験というのは本当に怖いてす。富士山でなければ、いや富士山であっても一歩間違えば遭難しかねない状況だったと今思います。
10:26
右の靴底も完全に剥がれてしまいました。剥がれた靴底を捨てるわけにもいかず、リュックの中に入れたら汚れるし、手に持ったまま休憩していると、「取れちゃったんですか、大変ですね」と何回か声を掛けられました。
雲の中にすっぽりと入っているのでしょう、景色はまったく見えません。雨は降ったり止んだりを繰り返しますので、最初はレインウェアを脱ぎ着していましたが、面倒くさくなって途中からずっと着っぱなし。それでも中に着ていた山シャツは最後までサラサラで、山の道具ってみんな値段高いけどみんなそれなりに意味があるんだなーと感心しました(下山後に)。
10:26 雲の中
10:26 雲の中
10:43 8合目、白雲荘(標高3,200m)
50分ほど登りました。あれっ?さっき8合目の山小屋から登ってきたはずなのにここも8合目なの?確かこの辺りからどんどん体がきつくなってきました。実際、標高差100mに50分もかかっています。このあとまた例の”本”8合目なんていう山小屋もいくつか現れたりして、8合目の区間は長くてしんどかったなーという記憶があります。足裏も段々痛くなってきましたし。
11:44 白雲荘からさらに1時間過ぎました。
ずいぶんスローペースになりましたね。この写真で何合目位なんでしょう。8合5勺とかくらいかな。もう休み休みでないと足が動かなくなってます。
12:03 先行者も雲の中
つづら折りになっている登山道にスペースを見つけて立ったまま休憩していると、青年が一人近くにやってきました。「しんどいね~」と声をかけると「きついっすね~。連れはみんな俺置いて先に行っちゃったんすよ~」なんて笑顔で応えてくれます。何気ない会話でしたが、この時ずいぶん疲れが和らいだ気がしました。そういえば朝から誰とも話をせずにここまで登ってきてました。誰かと話をするって大事なんだなー。
ようやく雲の上に出たようです。頂上までもう少し。
12:34 やっと雲を抜けた
時刻は13時ちょっと前、登りはじめて6時間、ついに日本一の富士山の頂上に着きました。
やった~!もうヘロヘロ。
12:54
12:54
疲れた顔ばかりじゃ情けない、とニッコリ笑顔の写真を山頂からメール配信。
12:59 ニッコリ
13:03 山頂からの雲海
山頂のベンチで昼ごはんを食べようと思ったら、昨日コンビニで買ったはずのおにぎりが見つかりません。あちゃー、車に置いてきたかとかなりガックリ。仕方ないので山小屋でカレーを食べました。確か1,100円だったかな。(結局おにぎりはリュックの底に隠れてました)
13:23
写真がありませんが、このとき足はどうなってたかと言いますと、右足に巻いていたバンダナはとっくに擦りきれてしまい、靴の布地も薄くなってきたので、タオルを巻いていました。左足の布地はまだ割りとしっかりしていたので、山頂ではそのままにしていたと思います。
◼️下山
足も痛いし、山頂ですることも思いつかなかったので、すぐに下山を開始しました。13時半頃だったと思います。
下山道を見上げた様子です。赤茶色っぽい石のザレ場の登山道がジグザグにひたすら続きます。踏みしめるとザクッザクッと音がするような道でした。
14:10 下山道
靴底が取れたままになっていた左足も徐々に痛みが増してきて、途中からタオルを巻きました。持ってきていた荷物で他にはもう靴に巻けるようなものはありません。タオルも2枚持ってきていて本当に良かったなーという感じでした。
15時半、下山から2時間経過。8合目は過ぎたでしょうか、あまりよく覚えていません。ただもう足が痛くて、少し歩いては休みを繰り返しながらゆっくり歩くだけで精一杯でした。
15:33 トホホ…
15:33 トホホ…
さらにこのとき、ボロボロの私に追い討ちをかけるような事態が起きていました。激しい尿意です。今朝7時に5合目をスタートしてからまだ一度もおしっこをしてません。山頂で軽い尿意を感じたのですが、おしっこでお金をとられるなんてあり得ないと思ってスルーしてしまったのです。8時間分のおしっこが出たい出たいと私の下っ腹で騒ぐのでした。
見渡す限り赤茶色のザレ場には一本の木も生えていません。足の痛みと迫り来る尿意で、絶望感だけが増していきました。マジ!
そんな時、私は山の神様に出会ったのです。私が富士山の回をどうしてもブログに書き残したかった理由は、この時の神様との出会いを忘れないためなのです。大袈裟だなと思われるかもしれませんね。けれど、あのときの自分の気持ちを思い出すと、決して大袈裟とは思いません。あれは、おばちゃんの姿を借りた山の神様に違いないと思うのです。
(痛えなー、こりゃ日没までに5合目まで下りれるかな)ズキズキくる足の痛みで立ち止まり、最終バスの時間を調べているときでした。多分8合目の途中くらいだと思います。
「あら、靴底剥がれたの?」
一人のおばちゃんが私に声をかけてくれたのです。
「はい、ご覧の通り両足ともに…」
「それは大変ね。ちょっと待って、私も今朝家を出るときに靴底が剥がれたら大変と思ってテープ持ってきたの。それあげるわ」
そう言って、リュックを下ろして中をごそごそ探し始めました。後ろからやって来た旦那さんらしき人にも「あなたも何かテープ持ってない?」と言って、旦那さんも同じようにリュックを下ろして中を探し始めます。さらに、「お母さん何やってんの?」と追い付いてきた娘さんらしき人にも「あんたもなんか持ってない?」と。
「ほら、これ巻いてごらんなさい」
3人からありったけのガムテープやテーピング用のキネシオロジーテープをいただいて、それをタオルの上からぐるぐる巻きにしました。足首と足の裏がテープでガチガチに固められていい感じです。
「有り難うございました。声を掛けていただいて、本当に有り難うございました」
何度お礼を言ったかわかりません。何度も何度もお礼を言いました。
誰にも頼らずに一人で下山するぞという覚悟でいたわけでは全然ありません。しかし、回りの登山者に「助けてください!」と声をかける勇気はありませんでした。それは、まだ絶体絶命ではなかったからでしょう。だから、こんな風に回りから声をかけてもらえるまでは手助けを求められなかったのです。命の危険があったわけではありませんが、まだ先の長い8合目の途中で私は途方にくれかけていました。あのとき声をかけてもらって、本当に本当に助かりました。
15:59 ありったけのテープを巻いた
3人を見送って歩き始めました。楽です。さっきまでとは天と地ほど違います。あー、有り難かったなー、名前とか連絡先とか聞いとけば良かったなー、なんて思いながら、7合目を過ぎた辺りにある下山道では唯一の公衆トイレに駆け込み、もうひとつの問題も無事解決しました。ホッ。
ガチガチに巻いたテープも結局は薄い布地なので、1時間もすると擦りきれてしまいました。足は元の状態に戻ったのですが、もうまもなく6合目。6合目までくればそこから5合目まではほとんど平地だったはず。最終バスを逃がすことも無さそうです。足は痛かったですが、気持ちがあまり落ち込んでなかったので大丈夫でした。
そんなこんなで、18時前に無事5合目に帰着。山頂から4時間半近くかかったんですね。辺りはもう薄暗くなっていました。ボロボロで泥だらけの足でバスに乗り込むのがちょっと恥ずかしかったけど、バスに乗り込んだときは心の底からホッとしたことを今でもよく覚えています。
バスで麓の駐車場に向かっていると、リュックの中からバキッバキッという大きな音がしてきます。「?」それは、山頂で空になった硬めのペットボトルが気圧の変化で押し潰されていた音でした。
(そうか、俺さっきまでそんな高い所に居たんだなー、富士山のてっぺんだもんなー)
そうだよ、日本一高い所に居たんだよ…
下山後、富士吉田市の温泉で汗を流し、晩ごはんを食べて高速に乗りました。しんどくなったらサービスエリアで仮眠しようと思っていたのですが、そのまままっすぐ帰宅。当初の計画通り、23時に帰り着きました。
23:05 お疲れさま
こうして、10年越しとなった富士山登山は無事に終わり、このあと私は山登りにはまっていくのでした。
終わり
(教訓その1)
富士山で得た最大の教訓、それは登山靴の底は剥がれることがあるということです。なので、本格的に山登りの準備を始めたときには、いの一番にそのための用意をしました。
テーピング用のテープ2種類(伸びるのと伸びないタイプ)、ビニールテープ、細引き5m
テーピング用のテープは捻挫したときなんかにも役に立ちますね。少し荷物にはなりますが、私はこれらのテープをそれぞれ一巻丸々、いつもリュックの中に常備しています。
私が富士山の下山途中に出会った山の神様にはもう二度とお会いすることはないでしょう。お礼を言うこともできません。その代わり、私はこれらのテープをどこの山に行くときも持っていき、靴底が剥がれて困っている登山者を見つけたら声を掛けたいと思っているのです。せめてもの恩返しに。
(教訓その2)
20年前に買った靴で山登りするのは、やめといた方がいいと思います。
おしまい