'19年10月5日~7日 秋の涸沢テント泊の旅、奥穂高岳も登るど~!(2日目)
(奥穂高岳へ向かう朝)
※秋の涸沢テント泊の旅(1日目)からの続きです
■2日目の朝
3時過ぎに目が覚めて、ヒュッテでトイレを使った帰りに夜空を見上げたら満天の星がきらめいていた。それはそれは大きな北斗七星が夜空の低いところに瞬いている。ヒュッテに貼られていた今日の天気予報は【午前中曇り/みぞれ】となっていたが、少し期待が膨らんだ。
5時を過ぎて辺りはずいぶん明るくなってきた。朝食を済ませた人たちが続々とテントの外に出てきて、カールの方を見ている。そう、みんなモルゲンロートを期待しているのだ。空は雲が多めだが、果たして日本一の朝焼けは見れるのだろうか。
5:37
5:46
しばらく待ったが写真で見るような朝焼けの兆候もないので、俺はヒュッテのほうへ顔を洗いに行った。その後テントに戻ろうとしたら、ヒュッテの周りの人だかりがなにやら盛り上がってカメラを構えている。
5:55
カールの方に目をやると、おお、これがモルゲンロートか!
5:57
今朝の天気ではこのくらいの赤色が精一杯かもしれない。一応それらしいのが見れて良かった。
■涸沢~穂高岳山荘
さて、今日はいよいよ奥穂高を目指す日である。
『奥穂高岳』
言わずと知れた、富士山・北岳に次ぐ日本第三位の標高(3,190m)にして、北アルプスの最高峰だ。日本を代表する山の一つと言っていいだろう。
よく目にするのは、鉄梯子をよじ登る人の真下に穂高岳山荘の赤い屋根が小さく写っている高度感満点の恐ろしげな写真だ。穂高連峰の中では比較的登りやすいと言われている奥穂高だが、俺たちはまったくのド素人。人一倍体力があるわけでもないし、俺とちかちゃんは高所恐怖症だし、四捨五入すれば還暦の単なるおっさんおばさんなのだ。そんな俺たちに登れる山なのか?ということはみんな大なり小なり感じていたことだった。
行けるとこまで行こう。
ちゃんとみんなで話し合ったわけではないが、涸沢を出発するときの俺たちはそんな感じだったと思う。
7:05 出発
涸沢ヒュッテとは反対側にある涸沢小屋の脇を抜けて登山道に入る。少し高度が上がったらダケカンバの黄色にナナカマドの赤色が混じり始めた。「やっぱり紅葉は赤が入ってないと駄目だな!」とアイミ君も満足そうだ。
7:27
行く手に現れた大きな岩に上って休憩をとる。ヒュッテがあんなに小さくなっていた。火照っていた顔に朝の風が気持ちいい。
7:42
登ってきたほうを見下ろすと、見事な紅葉が広がっている。テント場の方から見上げていたときよりも、こうして上から見下ろす方がより綺麗な気がした。
その後しばらくガレ場を登り、次にトラバース気味にガレ場を斜め上に横切ると、ザイテングラートが近づいてきた。
8:15
ザイテングラート。
涸沢のことを調べ始めると、すぐにこの《ザイテングラート》と《モルゲンロート》の二つのドイツ語に出くわす。なんだか知らないが、格好いい響きの言葉である。さすが天下の涸沢である。どんな意味なんだろうと思いつつも、ちゃんとした意味を調べるのは後回しになりがちだが。
昨日、涸沢に向かう登りの途中でも俺の前を行く人が同行者にザイテングラートを説明していた。「あのな、ゴジラの背びれわかるか?あんな風にな、岩がゴツゴツ盛り上がっとんねん。そこを行くねん。ごっつ怖いで。ゴツゴツなだけにな」
ゴジラの背びれの例えは初めて聞いたが、毎年滑落事故が起きている難所であることは俺も知っていた。その取り付き地点に着いたのだ。
(ザイテングラート取り付きでヤル気満々のちか)
「浮石に気を付けて、それから石を落とさないようにね」半分自分に言い聞かせるつもりでみんなにも注意を促し、そのザイテングラートに取りついた。岩だらけの登りの途中に短い鉄梯子や岩壁をトラバースする鎖場が現れ、軽い緊張を強いられることはあったが、慎重に進めば問題なくクリアできるような難易度だったと思う。今日が雨でなくて本当に良かったと思った。
(ザイテングラートの様子)
途中、何組かの人たちとすれ違ったが、涸沢にいた人の数からすると登り下りをしている人はそれほど多くない印象だった。やっぱり《涸沢まで》と《涸沢から先》とで登山の中身が大きく変わってくるからだろう。
9時18分、白出のコル(鞍部)に建つ穂高岳山荘(2,983m)に到着。ザイテングラートに取りついてから1時間、涸沢を出発してから2時間が経っていた。
(穂高岳山荘)
山荘前の石造りのテラスに立つと、目の前に黒くて岩だらけの奥穂高岳の核心部が急角度で屹立していた。今年の夏に槍ヶ岳山荘前から仰ぎ見た槍ヶ岳を思い出す。
(山頂部はまだ見えない)
ここで一旦リュックを下ろし、行動食を食べてトイレを借りた。先着していた隣のグループのガイドらしき人が「じゃあ、行きましょう。○○さんは私の後ろです。しっかりついてきてください。大丈夫、必ず登れますから」なんてメンバーの人に話していた。(う〜、やっぱちょっと緊張するわー)。
汗冷えしたのか緊張からなのか少し寒くなってきたので、俺は全員の出発準備が整うまで山荘の中で待機した。
■奥穂高岳山頂へ
9時35分、アタック開始。怖いのは最初の部分だけ、あとは稜線歩きで頂上に着くと書いてあった誰かのブログを信じて岩の塊に取りついた。とにかく、あの鉄梯子を登りきればいいんだ。
(あの鉄梯子を!)
下を見ない、三点確保、落ち着け。この三つを呪文のように心の中で唱えながら梯子を登る。なにを大袈裟な、と思うかもしれないが、高所恐怖症の気持ちなんて誰にもわからないだろう。今思い出しても軽くゾクゾクする。しかし、このアングルは是非ともブログに載せなければという使命感(?)で、スマホを取り出し足下を覗き込んだ。カシャッ📸
(3人が見える)
最初で最後の難関を全員無事にクリア。先へ進む。あとは3,000mの岩稜帯歩きで頂上にたどり着けるはずだ。
(もう完全に雲の上に出ていた)
2つほど偽のピークを過ぎたあたりで、異様なモノに出くわして思わず足が止まった。それは、黒く大きな岩の塊で、垂直で、ゴツゴツして、深く暗く、そしてどこまでも力強く見えた。まったく人を寄せ付けない力、そんなものを感じる。
「これがジャンダルムか…」
みんなも動きが止まっていた。同じように、その迫力に息を飲んでいたんだと思う。
10:13
(すげぇ…)
さすが岩の殿堂、穂高連峰だ。そうだ、これこそがゴジラの背びれじゃないか!
ジャンダルムの迫力の余韻も冷めやらぬまま、奥穂高岳の山頂に到達。日本第三位の高峰のピークをついに踏むことができたのだ。穂高岳山荘から50分の道のりだった。
10:24 やったぜ
ガスが出てきて眺望がないのは残念だったが、これ以上なにかを望めばバチが当たりそうだ。なんたって今日の天気予報はみぞれだったのだから(みぞれだったら絶対に撤退してたと思う)。
■下山、涸沢へ
狭い山頂で取り立ててすることもないので、早々に下山する。登ってきた道をそのまま下るだけだが、事故はそのほとんどが下りで起きている。うるさいと思われようが構わない。その通りを言葉にして、注意を喚起してから歩き始めた。
(下る途中で見えた涸沢のテント場)
(もうすぐ穂高岳山荘。慎重に)
30分ほどで山荘前まで帰ってくることができた。みんなでハイタッチを交わす。
11:07
山荘でアイミ君はカレー、ちかまりはお汁粉で一息ついていた。俺は食欲が湧かずに、ジェル飲料をお腹に入れただけ。早く涸沢まで下りてビールを飲みたいと、そればかり考えていた😅。
ここからも登ってきた道を辿る。まずはザイテングラートを慎重に下り、ガレ場をトラバースして高度を一気に下げた。
ようやく紅葉の木々に囲まれる場所まで下りてきた。緊張が徐々に解かれていくのが自分でも分かる。みんなにも笑顔が出てきた。
(紅葉とガレ場とアイミ君)
(残りの3人)
アイミ君、渾身の一枚。カシャッ📸!
【涸沢の紅葉越しの常念岳】photo by Aimi
「あれっ、こんな道通ったっけ?」目の前に見事な紅葉のトンネルが現れた。
昨日よりもまた一日紅葉が進んでる、とアイミ君が言っていた通り、赤と黄色どちらの色も濃くなったような気がする。来年涸沢に紅葉目的で行く人には是非お勧めしたい。涸沢からホンの少し登るだけで、こんな景色に出会えるのだ。
■下山後
涸沢小屋に着いた。ビールだ!と思ったら、涸沢ヒュッテで食べようということになった。すぐにテント場まで下りる。さあ、ヒュッテに行ってビールだ!と思ったら、「先にテントを移動しない?」ということになった。
今日は日曜日。テント場は昨日までのテントの数から半減どころではない数まで減っていて、きれいに整地された場所が沢山出現していたのだ。(明日は平日だもんなー)早速3つ並びの平らなスペースを見つけて、テントを引っ越した。これで今夜は安眠できそうだ。
(引っ越し完了。ちかまりとアイミ君のテント)
テントの移動を終えてヒュッテに来た。今度こそビールだ😂。ジャンジャン持ってこーい。こちとらジャンダルム帰りだ、怖いもんはねえぞー。
14:35(カンパーイ!!)
俺はビールをお代わりしながら、ラーメンとおでんセットを平らげた。フゥー、ここはなんて景色のいい居酒屋なんだ、なんて思いながら。
テントに引き揚げる途中、記念写真を一枚。
15:22(素晴らしい紅葉が見れて良かった)
この後テントで仮眠を取り、夜はみんなでご飯を作って食べた。明日は東京に戻る日だ。5時起床、朝食と撤収を済ませて7時出発、というざっくりしたスケジュールを確認し合って、各々のテントに入った。
19:15
今日は少し疲れた…zzz
(2日目終わり。秋の涸沢テント泊の旅(3日目)に続きます)