'18年6月2日~3日 雲取山で初テント泊!
⛰️6月2日から3日の土日にかけて、東京都の最高峰で埼玉と山梨にまたがる山、雲取山(2017m、日本百名山)へ初のテント泊登山に行ってきました。テント装備を詰め込んだ16キロを超えるリュックの重さに閉口しましたが、とても面白い山行でした。テン泊登山、なかなか楽しい!
以下、その2日間の記録です。
(1日目)
◼️奥多摩、鴨沢へ
新宿始発の《ホリデー奥多摩1号》に乗るため、北浦和6時7分の電車に飛び乗った。先週の川苔山のときは立川駅からこのホリデー1号に乗ったのだが、終点の奥多摩駅まで立ちっぱなしで辛かった💧(車内はほぼ登山者)。始発の新宿なら座れるだろうと思って向かったのだが、ホームに着いた時にはすでに99%の乗車率(やっぱり登山者多いな~)。
運よくひとつ空いていた席に座ってホッと一息つく。奥多摩まで1時間半、立ちっぱなしだと山に登る前に疲れてしまう🚃💨。
電車が中野を過ぎた辺りで事件が起きる。今日の雲取山で一緒にテント泊登山デビューを飾る予定のアイミ君からLINE、まさかの寝坊連絡だ😱奥多摩駅到着が10時頃になるという。
元々の計画(奥多摩駅に8時21分に着いたあと駅前8時35分発のバスに乗ることになっていた)でもテントを設営する奥多摩小屋には14時過ぎ到着予定となっていて、ちょっと遅いかなと気になっていた。しかも今日は梅雨入り前の好天の土曜日だ。いつもより人も多いだろう。テント泊初心者の俺たちにはテント場の様子が全く分からないため、できるだけ早く着きたいと焦っていたぐらいなのだ。それがさらに1時間以上遅れることになるのは痛い。
結局アイミ君は奥多摩駅からタクシーで登山口の鴨沢に向かうことになり、テント場で合流ということにした。
急に単独登山となって少し心配になってきた。初めての山を、これまで担いだことの無い重さのリュックを担いでの単独登山、これはまあいい。不安なのはテント場についてからテント設営までの作業だ。テントの設営自体は子供たちが小さいころによく行ったオートキャンプで何度も経験があるので大丈夫だと思っているし、設営を不安がっていたアイミ君にも「大丈夫。テントなんて本体広げてスリーブにポールをグイッと押し込めば勝手に立つんだから😤」などと大口をたたいて、事前の試し張りもしてこなかった。少し不安がよぎったがこれもやるしかない。一番不安だったのは、テント場に到着してからのルールやマナーなどの山での振る舞いだったりするのだが、うーん、一人だとちょっと心細いぞ。
奥多摩駅から鴨沢に向かうバスは登山客でいっぱいだった。俺が乗ったのは臨時増便された4台目くらいのバス。ここから鴨沢まで30分と少しの道のりで、途中数人降りた以外はみな鴨沢で降りていた。雲取山すげー人気だな。吐き出されるようにバスから降りて鴨沢に到着。勝手がわからないので周りの様子を見ながらゆっくりと準備を進めた。
登山届を提出し、交通整理をしていた若い警官(それくらい鴨沢は登山客であふれていた)に登山口までのルートを確認していよいよ出発。時計を見るとちょうど9時半だった。
民家の間を抜け、山道をたどると30分ほどで小袖乗越に到着。いよいよここから登山開始だ。
9:59小袖乗越
◼️七ツ石小屋へ
まずは標準コースタイムで1時間45分先にある堂所(どうどころ)という場所を目指して登り始めた。低山で見慣れた杉の植林帯が続く。すぐに額から汗が噴き出てくる。今日は平地の気温が28度くらいまで上がる予報になっていた。暑い💦 タオルで拭いても拭いても額から汗が流れてくる。背中のリュックは重いけど、大丈夫、なんとかなりそうだ。
徐々に高度を上げていく。小袖乗越から1時間くらいは経っただろうか、気が付くと周りの景色が変わっていた。杉の森から広葉樹の森に、あきらかに植生が変わっている。
ここまでのところ、とても登りやすい山道が続いていた。急登といった場所もなかったような気がする。所々に平将門の逃避行の様子を記した説明書きが現れた。何百年か前に将門もこの道を辿ったというのか。
何枚目かの説明書きが、ようやく到着した堂所にも建っていた。
11:22
ここまで小袖乗越から約80分、ほぼ休憩なしでやって来たが、少し前からヒップベルトが腰骨に擦れて痛い😖💥。今回のテント泊用に新たに導入したグレゴリーのリュック、バルトロ(65L)の特徴の一つである分厚いヒップベルトが腰を包んでくれてるはずなのに。痛むところは前側の少し出っ張っている左右の腰骨。やせ形体型のため、ヒップベルトのクッションが前の方まで回り込んで腰骨の出っぱりと擦れているようだ。バルトロのサイズはMだったが、ヒップベルトだけはSサイズに変えた方が良かったかな(バルトロはヒップベルトやショルダーベルトだけをサイズ変更できるのだ。さすがリュックの王様!)。
堂所からは1時間もせずに七ツ石小屋だ。とりあえずそこまで頑張ろう。そこで大休憩しよう。ヒップベルトを上や下にずらしながら歩き続けた。
擦れて痛い…
汗が出る。リュックのボトルホルダーに挿していた500mlのナルゲンボトルがみるみる軽くなっていった。
しばらくして、とある分岐にぶつかる。行く先表示板はなかったが、その分岐の手前で年配の女性が一人額の汗を拭きながら思案顔をして立っていた(その女性がそこに立っていなければ、俺は分岐に気づかず素通りしていたに違いない)。女性の向こうに別の登山道が見えて立ち止まる。ちょうどその時、その分岐した登山道のほうから男性が一人下りてきた。すかさず女性がその登山者に聞いた。
「この道は七ツ石小屋に行くんですか?」
「ええ、七ツ石小屋に行きますよ」
地図を広げてどっちに向かうべきか考えていた俺の耳にもその会話が聞こえてきた。七ツ石小屋の付近は複数の登山道が分岐して若干複雑になっている。予定ルートは七ツ石小屋を経由して七ツ石山のピークを踏み、ブナ坂を目指すルートなのだが、地図では小屋や七ツ石山をエスケープする巻道が複数あった。そうか、その巻き道に差し掛かったんだと判断した俺は、まだ思案顔の女性を追い越してその分岐した道のほうへルートを取った。(七ツ石小屋へ向かうならこのルートなんだ)
しかし、登り始めてすぐに登山道に違和感を覚え始めた。枯れ葉が積もった道は、踏み慣らされてないため、やけにふかふかしている。急に傾斜がきつくなってきたぞ。おいおい大丈夫か?けど、これは間違いなく登山道だ。この道を下りてきた登山者も七ツ石小屋に通じてると言ってたじゃないか。
ここまで2時間近く、初めて背負う16キロオーバーのリュックに腰骨が悲鳴を上げていた。荷重を腰で受け止めるはずのヒップベルトが腰骨と擦れて相変わらず痛い。痛みが出ない場所を探してヒップベルトを上下にずらし、枯れ葉に埋もれた急坂を登る。流れる汗を拭こうと立ち止まって後ろを振り返るが、さきほどの女性が登ってきている気配はない。ここで初めてGPSを取り出して確認。GPSは見事に登山道から外れた場所を示していた。
GPSが指し示した地点は、想定していた七ツ石小屋周辺の分岐道よりもずいぶん手前だった。けれどこの道が七ツ石小屋に向かっているのは間違いないのだ。その時、一人の男性登山者が下りてきた。かなりベテランぽいいでたちだ。俺はすかさず聞いた。
「この道は七ツ石小屋に行きますか?」
「ああ行きますよ」
良かった。
こうして、地図に載っていないルートを少しの不安を抱えながら登り続け、メインルートに合流。ほどなくして七ツ石小屋にたどり着いた。
12:11 七ツ石小屋
やっと七ツ石小屋に着いた。以前なにかで読んだブログで、雲取山荘(山頂の向こう側にある大きな山小屋)の親父は横柄で最悪だった(事実は不明です)が七ツ石小屋の主人は人当たりが良くてよかった。山バッジは七つ石小屋で買えばよかった、という記述をなぜかずっと覚えていた俺は『七ツ石小屋でバッジを買わねば!』と薄暗い小屋の中に入る。奥に40代くらいの小屋番がいて、何か用かというような目でこっちをにらむ。バッジ下さいというと途端に柔和な顔になった。代金を払いながら「ここでテントも張れるんですね」なんてことを言ってしまったら、奥のテント場を案内してくれた。テント場は狭いので3シーズンは登山者の休憩スペース優先だけど、冬はテントが張れるよなんて説明だったと思う。見晴らしのいい休憩所では4~5人の男女が昼ご飯を作って食べている。その中に混じってベンチに腰を下ろし、行動食のアミノバイタルゼリーを一気に飲み干した。
七ツ石小屋から
◼️奥多摩小屋へ
今日一番の大休憩を15分ほどとって、再びルートに戻る。しかし、一度緊張をほどいた体からは再びくそ重いリュックを背負って山道を登る力がなかなか湧いてこない。七ツ石山のピークを踏むか巻道を進むか。体は悲鳴を上げていたが、ここは七ツ石山越えでしょう!とばかりに分岐を右にとる。
これを右に
分岐から30分ほどで七ツ石山のピークへ到着。小高い山の風情かと思っていたが、立派な山頂で驚く。さっきの小屋番のおっちゃんに七ツ石山の山バッジも買わされそうになったが、なるほど山バッジが作られるほどの山だったのだ。
12:46
山頂からは見晴らしのいい景色が広がっていたが、空にはいつのまにか分厚い雲が垂れさがってきている。天気大丈夫か?
七ツ石山山頂から
七ツ石山を越え、ブナ坂に到着。確かここからは気持ちのいい尾根道が続いているはずだ。
13:03
今来た道を振り返り写真をカシャッ、これから進む道をカシャッと撮って歩き出そうとした時だった。その道を鹿が横切った。
この道の先を
「えっ!?」
ドキドキしながら鹿が歩いた場所を眺めていると続いてもう一頭も森から出てきた。(鹿だよ、ついに!)去年の夏から山登りを始めて10ヶ月。初めて鹿に出会った🦌👀
登山道を横切った二頭の鹿はそのまま坂を左に下り、森の手前で草を食べ始めた。ゆっくり登山道を進む俺。鹿は俺に気づいているが逃げない。時々顔をあげてこっちを見ているが、また足元の草を食べている。そうだ写真だ、ビデオだ。大きな動作にならないようにゆっくりとスマホを鹿に向ける。写真を一枚。カシャッ。
見えるかな
鹿だ!
二頭目の鹿が森の中に消えた。すると一頭目の鹿もそのあとを追って森の中に消えていった。
「鹿だ、うん鹿だったな〜」
なんて独り言をつぶやきながら二頭の鹿が横切った辺りを歩く。やっぱり森の中には鹿がいるんだ。俺たちは動物の森の中で遊ばせてもらってるんだなー、なんて感慨にふけりながら歩いていると視線の向こうに次のサプライズが見えてきた。
「ダンシングツリーだ!」
まだ小さい
いろんなブログで何度も見てきたダンシングツリーがはるか遠くに見えている。はるか遠くで踊りながら俺を待っているようだった。
「ダンシングツリーだ。鹿の次はダンシングツリーかよ!」
一人で笑いが止まらない。このあたりは防火帯のために木を伐採しているのだが、このダンシングツリーだけは樹形が面白いということで伐採を免れた(らしい)。だから遠目にもわかるほど一人ぽつんと立っている。ぽつんと立って多くの登山者に語りかけているのだ。「ようこそ雲取山へ!」と。
「ようこそ!」
ダンシングツリーから稜線を歩くこと20分。雲取山ヘリポートを経てようやく奥多摩小屋テント場に到着。腕のGショックをみると13時35分だった。
広いヘリポート
◼️テント設営
ひとまずテント場の再奥にある奥多摩小屋へ向かう。向かう道の両サイドにはもういくつものテントが設営されていた。色とりどりでとてもきれいだ。カツーン、カツーンとペグを打ち込む音がそこかしこから聞こえてくる。テントだ、テント場だ!ついにテント場にやってきた!テントを担いでやってきた!
奥多摩小屋は想像以上のぼろい小屋だった。今年度中に閉鎖になるというのもうなずけるほど。真っ暗な小屋の中で出てきた青年に受付表を渡され、住所氏名を記入し、テント場代の500円を支払った。念のためにどこにテントを張ったらいいのか聞いてみる。
「ここからヘリポートまでの間で、どこでも好きなところに張っていいです」青年が答えた。
奥多摩小屋のテント場は、雲取山の山頂に向かう登山道を挟んで両脇に広がっていた。山頂に向かって左側(西側)は眺望が開けていて、もうあらかた埋まっている。周囲に木などはなく、風が強いときは吹きっさらしになって大変じゃないかと思えた。右側(東側)は後ろに森が続き、木と木の間や木の下にテントを張るスペースを見つける感じ。こっちはこっちで森を見ながら食事ができるし、木の下で安らげる雰囲気がある。俺は登山道沿いの木と木の間に幾分平らなスペースをみつけた。ここにしよう。さあ、ぶっつけ本番のテント設営だ。
本体を広げた
途中で何度か取説を見ながら、どうにか設営も完了。我ながらうまくできたなーなんて写真を撮ってふと登山道に視線を向けると、そこに大きなリュックを担いだアイミ君が笑いながら立っていた。14時半過ぎ、俺たちは無事に奥多摩小屋テント場で合流した。
俺のステラリッジ2型
アイミ君を奥多摩小屋に連れて行き、受付を済ませたあと俺のテントの横にスペースを見つけてテント設営。
アイミ君もステラリッジ2型
ほどなくしてアイミ君のテントも完成。もう15時を回っていたが、ここまで二人ともろくに食べていなかったので、とりあえず遅い昼ご飯を食べることにした。俺はアルファ米とお湯で戻す牛卵とじ(アイミ君はカップラーメンだったかな?)。お腹を満たした俺たちは、18時に起こしあうことにしてそれぞれのテントで遅い昼寝をとることに。9時半に鴨沢を出発してからたっぷり7時間。疲れ果てていた俺はすぐに深い眠りに落ちた。
18時頃どちらからともなく起き出した俺たちは、ついさっき昼ご飯を食べたばかりだというのに今度は夕食の準備に取り掛かる。空はまだ明るいが、昼間の明るさはもうない。気がつけば七ツ石山の山頂でみた分厚い雲はどこかに消えて、澄み渡った夕空が遠くに連なる山々の上に広がっていた。
「あの明るい星はなに?」
アイミ君に聞かれて夕空を探すとひときわ明るい星が西のほうにひとつ。
「一番星は昔から金星と決まっとるやろ」
といい加減な受け答えをする俺。そんなたわいもない話もまた山の上では楽しいものだ。
見えるかな一番星
今夜のご飯は得意のサラスパ+ボンゴレビアンコソース。アイミ君はアルファ米と煮込みハンバーグのレトルト。奥多摩小屋で買ってきた缶ビール(500円)で二人の初めてのテント泊登山を祝して乾杯し、つつましい山の夜の宴を楽しんだ。
乾杯!
ボンゴレ
食後は俺が持ってきたバーボンでホットバーボンを作り、今夜二度目の乾杯。いつのまにかすっかり暗くなったテント場で、アイミ君が灯したLEDのランタンがやけにまぶしい。
気が付くと時間は19時半を回っていた。フリースを着ていたのにずいぶん冷え込んできている。20時前、俺はアイミ君にお休みを言ってテントに潜り込んだ💤
アイミ君のテント
(2日目)
◼️山頂へ
次の日は4時前に起床。昨夜はさすがになかなか寝付けなかったが、それでも21時前には寝入ったはず。山に登ってきた格好の上にフリースを着てシュラフに潜り込んだが、夜中に寒くて目が覚めた。何度目かで観念してリュックからダウンを取り出す。その後は朝まで目が覚めることはなかった。翌朝、アイミ君に聞いたらやっぱり寒くて何度か目が覚めたらしい。しかしダウンは出さなかったと言っていた。
この日の日の出は4時半くらいのはずだが、4時前でももうずいぶん明るい。トイレに行って準備を整え、財布と水とスマホと手袋だけの荷物で、4時15分頃にテント場を出発した。
4:25
東の山から森の木々をシルエットにして朝日が昇ってきた。開けている西側の山肌がまるで涸沢のモルゲンロートのように(行ったことないけど)赤く染まっている。
朝日が
西側の山肌を赤く染め始めた
山々の向こうに浮かぶように薄っすら見えていた富士山が、朝日に照らされて少しずつはっきりと見えるようになってきた。
ああ、富士山だ
「きれいだ、最高だ。まだ4時台だよ、信じられない、すごいなアイミ!」やけにハイテンションの俺。
夜が開けたばかりの空にはまだ煌々と月が出ている。朝の月を従えた富士山が空の彼方に幻のように浮かんでいた。
月と富士
5時過ぎ、ついに雲取山山頂に到着。すぐにおばちゃんたちの団体に頼まれてアイミ君が写真を撮りはじめた。次に俺がそのおばちゃんにスマホを渡して写真をお願いした。
おばちゃん達を撮るアイミ君
おばちゃんが撮ってくれた俺たち
空はどんどん青さを増していく。富士山や周りの山々の姿も少しずつ鮮明になってきた。連なる山の向こうに見えている富士山は、丹沢あたりから見えるそれよりも幾分小さいかもしれないが、薄い上質な水彩画を見るように遥か彼方の空に本当に浮かんでいるようだった。きっと忘れられない景色の一つになるだろう。
水彩画のような富士山
朝の5時に雲取山の山頂に立って360度の絶景を見ている自分がまだ信じられなかった。
6時頃テントに戻り、朝食の準備に取りかかる。森の向こうに上がってきた太陽に照らされながらプリムスで湯を沸かす。
シュゴー
俺は楽しみにしていたマルタイの棒ラーメンとんこつ味に乾燥野菜をトッピング。アイミ君は何を食べてたっけ?ああそうだ、キノコのパスタを食べていた。食後にアイミ君がコーヒーを淹れてくれて、テント場での山ごはんが終了。昨日の遅い昼ごはんから三食。すべておいしくいただきました!
チタンマグとコーヒー
アイミ君の隣に大きめのMSRを建てていた屈強そうな男性とは昨日のテント設営の時から何度か言葉を交わしていたが、俺たちが朝ご飯を食べ終えたころにはすでにリュックへのパッキングも終え一息ついている様子。ふとその男性の傍に立てかけてある赤い大きなリュックに目が止まった。
「大きなリュックですね、バルトロですか?何キロくらいあるんですか?」
「ええ、バルトロの85Lです。たぶん24〜5キロかなあ」
「ええっ!?」
「もうひとつバルトロPROの95Lってやつも持ってます。仲間からは馬鹿だと言われています」
上には上がいるものだ、16キロくらいでヒーヒー言ってる自分が恥ずかしい。その男性は取り出した羊羹をむしゃむしゃ食べた後、それじゃお先にとテント場を後にした。
◼️下山
そのあと俺たちもテントを撤収し、のんびり荷物をパッキングして8時5分にテント場を出発。テント場にはまだちらほらとテントが残っていたが、あらかたは撤収済みだ。
みんな行動が早いなと感心していたが、その理由に今このブログを書いていて気が付いた。単純な話だが、鴨沢のバスの時間に合わせてみんな出発していたのだ。結果的に俺たちは出発から約3時間後の11時に鴨沢にたどり着いたのだが、奥多摩駅に向かうバスは鴨沢発10時16分のあと11時台がなくて次は2時間以上後の12時20分。だからみんな俺たちよりも1時間早くテント場を後にしたのだろう。そうか、そうだったのか!ってそれくらい事前に確認しとけというお話だ。
ブナ坂までの下山中も、時折顔を上げると青さを増してきた空を背景に富士山がくっきりと見えている。みんな感じることだけど、やっぱ富士山ていいなー。
昨夜アイミ君にダンシングツリーの話をしたら「なにそれ?」ということだったので、途中で「これがダンシングツリーだ。そもそも防火帯で…」と講釈を垂れて、記念撮影。カシャッ。
アイミ君とダンシングツリー
鹿と遭遇した場所に差し掛かると、「ここを下って行ってあの辺でこっちを見てたんだ」とまたひとくさり。その都度アイミ君は相づちを打ってくれて、とっても優しいやつだ。七ツ石小屋の手前でルートを間違えた一件も多少大げさに話しながら登山道を下る。その分岐を気づかずに通り過ぎたら「それってここじゃないの?」と後ろを歩いていたアイミ君がナイスな指摘。振り返って、
「おー、間違いない、ここだよここ。ここを行っちゃったんだよねー」
「こんなとこ普通行かないだろ!」
「だはは😅」時々厳しい突っ込みもいただく。
テント場を後にしてから1時間も経つと、登りの登山者とぽつぽつすれ違うようになってきた。そんな登山者の一人が、すれ違いざまに立ち止まって俺に話しかけてきた。見たところ30代の女性、どうやらソロで登ってきたようだ。
「テント泊ですね?テントはどこのを使ってるんですか?どこのテントがいいんですかね?」なんだかこんなことを早口で尋ねられた。
「私はモンベルのステラリッジです。モンベルとアライの二択ということでいいんじゃないでしょうか!」
ベテランの山男が聞いたら怒りそうな単純化二択論を彼女に伝え、別れた。いきなりで面食らったが、テント選びでは俺も今回さんざん調べてさんざん迷ったので、その手の話は大好物。しかしここは雲取山の登山道だ。お嬢さん今度街ですれ違った時にまた声をかけてくれ。
そんなこんなで11時少し前、テント場から3時間ほどでようやく鴨沢に到着した。
しかし、次のバスまではまだ1時間以上もある。すると、地図を見ていたアイミ君がドラム缶橋まで行ってみない?と言い出した。ドラム缶橋まで歩けばちょうど1時間後のバスにも乗れるんじゃないかと言う。まだまだ体を動かし足らないなと思っていた俺はすぐさまそれに乗った。「よし歩こう」。俺たちは奥多摩湖沿いのバス道を再び歩き始めた。
暑い💧 真夏のような太陽に照りつけられながら奥多摩駅方面へ黙々と歩く。50分ほどで麦山のドラム缶橋に到着した。せっかくだからとドラム缶橋を向こう岸まで歩いて渡り、また戻る。
疲れてるのにはしゃぐ俺
しかしもう限界だ。足の裏が痛い、肩が痛い、腰が一番痛い。早くバスに乗って奥多摩駅まで戻って、もえぎの湯で温泉に浸かってビールを飲みたい!!
鴨沢を12時20分に出たバスにドラム缶橋の近くのバス停で12時29分に乗り込み(50分以上歩いたのにたった9分かよ!)、超満員の車内に辟易しながら奥多摩駅に向かった。バスに乗っていた満員の登山者がみんなもえぎの湯に殺到するに違いないと気が気ではなかったが、なぜか俺たち以外誰ももえぎの湯に向かう人はいない。何故だ?いや、もうそんなことはどうでもいい、早く汗を流してビールだ!!
ビールだ~
もえぎの湯で至福の時を過ごした俺たちは、奥多摩駅14時30分発の青梅行に乗り込んだ。初の雲取山、初のテン泊登山はこうして無事終わった。
終わり
(おまけ)
七ツ石小屋で買った山バッジ
奥多摩小屋で買った山バッジ
おしまい