たとえば僕が間違っていても

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 かの坂本龍一が以前何かのテレビインタビューで、「僕は音楽の力なんて信じない。一番嫌いな言葉だ」と話していたことがあった。YMOとして世界的に活躍した坂本龍一が意外なことを言うなあと驚いたが、俺も『歌の力で被災地に希望の光を!』みたいなテレビ番組がなんとなく嫌いだったので、とても共感した覚えがある。

 

しかし、時として歌には人を救えるほどの力がある。なんちゅういい加減な話の展開じゃ!と怒られそうだが、許してほしい。『歌の力』なんてのを持ち出す、安直なテレビ企画が嫌いなだけなので😅

 

前置きはこのくらいにして、本題に入りたい。これまでの60年近い人生の中で、とくに大人になってから何度も俺を救ってくれた歌がある。それは、吉田拓郎の《流星》という歌だ。《流星》の歌詞の出だしの一行に、これまで俺は何度も慰められ、勇気をもらってきた。いいんだ、それでいいんだと。

 

《流星》

たとえば僕が まちがっていても
正直だった 悲しさがあるから…
Ah… wow wow wow…流れて行く


静けさにまさる 強さは無くて
言葉の中では何を 待てばいい…
Ah… wow wow wow…流れて行く

 

 

これが吉田拓郎の作詞&作曲による《流星》という歌の冒頭の一節である。

 

この歳になるまでに多くの失敗や挫折を繰り返してきた。あなたもそうかもしれない。これまでの人生の岐路で、その都度右か左かの判断をしてきたが、果たしてあのときの自分の判断は正しかったのかと思い悩むことがある。過去には戻れるはずもないのだが、あの判断のせいで今のこの挫折があるのではないかと胸をかきむしりたくなるのだ。

 

若き日の未熟な恋愛、怠惰な学生生活、親や友への不義理。就職、上京、仕事、結婚、家族、マイホーム、転職、第二の人生。ありとあらゆる場面で俺は正しい道を選択することができたのか。そんなはずはない。押し寄せる後悔。

 

そんなとき、この歌を思い出す。この歌を口ずさむ。俺の決めてきたことが全部正しいはずないじゃないか。沢山の間違いを犯してきたはずだ。しかし、その全てはそのときの自分の気持ちに正直に従っただけだ、それだけは間違いない。

 

ときには怒りに震え、ときには逃げ出し、ときには浮かれ、ときには希望に燃え、ときには目をつぶり、ときには何もせず、ときには泣きながら、ときには敢然と立ち向かい、俺はそのときどきの人生を選択してきたのだ。いつも正解を導き出せるはずがない。人は間違う生き物だ。

 

そんな人生を振り返るとき、この歌は俺に語りかけてくれる。いいんだ、それでいいんだと。

 

たとえば僕が間違っていても

正直だった悲しさがあるから

 

 

(終わり)

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