香春岳(と青春の門と吉永小百合と山頭火)のこと

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《香春岳は異様な山である。》

五木寛之氏の代表作のひとつである『青春の門』は、こんな書き出しでその壮大なドラマの幕を開けます。

 

香春岳は、私たち迎珍縦走部のメンバーが高校時代を過ごした故郷にある山です。正確には《故郷にあった山》と言ったほうがいいかもしれません。そう、香春岳は消えてしまったのです。

 

かわらだけ、と読みます。春が香る山と書いて香春岳。こんな素敵な山の名前が他にあるでしょうか。私の郷土自慢のひとつです(まだ誰にも自慢したことはありませんが)。その自慢の香春岳は長年の石灰の採掘で山が削り取られ、その姿を消しました。

 

香春岳とは三つの連なる山の総称で、正しくは(冒頭の写真の)手前から一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳という名前がついています。石灰採掘で削り取られ失くなってしまったのは一番手前の一ノ岳です。全国的にも有名な郷土の民謡『炭坑節』に出てくる一節で、《ひと山~ふた山~み山越え~、ヨイヨイ》と歌われる山こそがこの香春岳なのです。

 

標高は、もっとも高い三ノ岳で509m。この三ノ岳だけは現在も登山が可能らしいです。私は小学生の頃、父に連れられて香春岳を登った記憶があるのですが、それもおそらく三ノ岳だったのでしょう。

 

私が香春岳を身近に感じるようになったのは、高校に通うようになってからです。教室から、校庭から、香春岳はいつもそこに見えていました。高校生の私にとっては、いつもそこに当たり前のようにある山、当時はそんな程度のものだったと思います。

f:id:arakabu625:20190612081945j:image(校庭にて。親友の森下君と香春岳と)

 

《天そそり立つ香春嶽、始原の海の跡遠く》

 

母校の校歌にも香春岳が歌われています。当時は深く考えもしませんでしたが、この一節は石灰岩でできている香春岳の、太古の昔からの成り立ちを言い表していたのですね、多分。

 


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大河小説『青春の門』は何度か映画化されていますが、最初の映画は1975年(昭和50年)に吉永小百合が主演した「青春の門筑豊篇」です。ポスター画像の左奥に当時の香春岳が写っていますが、すでに頂から4分の1ほどはなくなり、山肌が無残に削り取られています。

 

映画公開当時は坊主頭の中学生だった私にとって、この映画はとても思い出深い作品です。どうしてかといいますと、公開初日になんと吉永小百合が舞台挨拶のため地元の映画館に来てくれたのです。私は塾帰りに内田君と二人で映画館の裏口に回り、出待ちをしました。薄暗い裏口には私たち二人以外に誰もいません。本当に吉永小百合がここから出てくるのかも半信半疑のまま1時間くらいは待ったでしょうか。そうしたら出てきたんです、吉永小百合が。

 

私は固まったまま狭い階段を下りてくる吉永小百合に道を譲り、すれ違ったその背中をポンポンと触りました。その時、一緒にいた内田君が大仕事をします。いつのまにか構えていたカメラで写真を撮ったのです。あとで現像されたその写真には、少しうつむき加減にほほえみを浮かべ、絶頂期の美しさをたたえた吉永小百合が写っていました。(いつか写真アップします)

 

香春岳の話からいつのまにか脱線してしまいました。ついでにもう少し『青春の門』の話を続けます。この映画がデビュー作の大竹しのぶがこの地域の方言を学ぶため、私たちの母校となるT高校の演劇部に突然やって来たとか、塙の竜五郎役で出ていた小林旭ハーレーダビットソンボタ山を駆け上がったとか、そんな逸話を高校生だった兄から聞かされてワクワクした覚えがあります。

 

さて、香春岳に話を戻しましょう。このブログを書き始めたら、縦走部メンバーのまりちゃんからLINEが入ってきました。まりちゃんの実家の住所は香春町で、通った中学校も香春中学校という、まさに香春岳のお膝元で生まれ育っています。《香春岳、惜しいところにハゲがある~》地元には昔からそんな囃し文句があったと知らせてくれました。『ハゲ』とはもちろん削り取られた山肌のことを指しているのでしょうね。

 

《ふりかへれば 香春があった》

 

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これは、自由律俳句で有名な種田山頭火が香春岳を詠んだ句です。今回の新発見はこれでした。山口出身の山頭火を物心両面で支援していた人がこの地域にいたらしく、山頭火はしばしば福岡のこの一帯を訪れていたようです。香春町の金辺川沿いには句碑がいくつも建っている山頭火遊歩道なるものまであるらしいですよ。私の生まれ故郷と山頭火がこれほどつながりがあったとは全然知りませんでした(英彦山にも句碑があるとか)。他にも香春岳を詠んだこんな句を見つけたのでご紹介。

 

《香春見上げては 虱(シラミ)とっている》

 

香春岳のことをブログに書いたから、もしかしたら香春岳に呼ばれたのでしょうか。急きょ実家に野暮用ができてしまいまして、6月8日から9日にかけてその故郷に帰ってきました。中学時代に内田君が撮った吉永小百合の写真は見つからなかったのですが、車での移動中に香春岳の写真を撮る機会がありましたので、ご披露しましょう。

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右から一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳です。見ての通り、一ノ岳は削り取られてぺしゃんこになってしまいました。

 

私たち縦走部のメンバーは高校を卒業すると相前後して皆故郷を出ました。それからもう40年が経とうとしています。高校時代、いつもそこにあるのが当たり前だった香春岳は写真のように見る影もなくなり、40年という時の経過を思い知らされるばかりです。

f:id:arakabu625:20190609053316j:image(香春岳 今昔物語)

 

今の私の願いは二つ。一つ目は、香春岳・三ノ岳にもう一度登ること。二つ目は、(いきなりですが)いつの日か郷土出身の強いお相撲さんが出現して、《香春岳》という四股名を名乗ってくれること。そうして、もう今は存在しないこの素晴らしい山の名前を日本全国の人に知ってもらいたいなぁと思っているのです。(無理かなー、無理だろうなー)

 

(終わり)

 

おまけ

f:id:arakabu625:20190611205511j:image(40年前の香春岳と私。若い!)

 

(おしまい)

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